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基本的に世の中はクソだ

何が言いたいかというと

周りへの期待値を地面スレスレの超低いところに設置しろよ、という話である。



■何を期待してんだよ


クソ上司も、クソ男、クソ女、クソ親、クソ近隣住民もいて当たり前なのだ。

人間は素晴らしい?
この世は美しい?

バカ言ってんじゃないよ

本当はすべてがニュートラルなのだ。

だが、あえて「基本、この世はクソだ」とすることで
周りに対する期待がなくなり、いちいちイライラしなくなる。

死んだ目でハラスメント人間を見下すことができる。笑

酷い対応、誹謗中傷、理不尽、差別を受けたらひどく冷めた目で一瞥(いちべつ)してから、その環境から身を引くなり、ブロックするなりすればいい。その時は、静かに空気のようにスっと存在を消すようにそのクソ環境とおさらば。
その前に容易に取れるもの(慰謝料とか有休とかそういう類)があるならコッソリ取っておくのも必要。取るために頑張って正面から戦わないといけないとしたら、それはクソめんどくさいので私なら、戦わないかな。

■この世を「クソ設定」することで得られるメリット

それは

ささいなことで感謝の気持ちが溢れてくることだ。

例えば、衣食住と愛がいつも満たされて育ち、特に挫折もした事の無い人は、人がちょっと親切に対応してくれることは日常茶飯事で、当たり前で何も感じないのだ。

(もちろん、満たされて育っても、当たり前ではないと気づき感謝の気持ちを持てる者もいる)

一方、クソみたいな環境で生きてきた人は、小さな優しさが染みて染みて仕方がないのだ。

(まぁ、そこが弱点でもある。作為的な優しさか、本物の優しさか見極め、騙されない心が必要)

基本、この世はクソだと思えばちょっとした些細な事、たとえば飴玉一つもらうようなことが際立って素敵なことに見えてしまうのだよ。

「コンビニでご飯買ったら、タダで割りばしもらえるなんて、このクソ世の中捨てたもんじゃないな」とかね。


すべてはコントラストの中で存在している。

白い絵の具は、白い紙の上では見えない。
白い絵の具は黒い紙の上にいてこそ、その白さと存在感が増す。

■この世をクソ設定するということは、
人生の黒いキャンパスを手に入れたことになる。

そりゃ白いキャンパスに虹色の世界を描きたいと誰もが思うよ。

けれども、毒親や毒環境で育ってきた以上、何も知らない子供のような白いキャンパスにはもうなれない。毒環境でなくても、こんな世の中、ほとんどの人が中途半端に汚れたキャンパスなのだから。

だからいっそのこと美しい漆黒のキャンパスにしてしまえば、いくら汚されても減るものは無い。

微かに静かに小さく輝く星のようなドットの愛を見つけられる闇を、心の中に持てよ。


という私から、「過去の私」へのメッセージである。

それはきっと今生きづらさを抱えている誰かへの有益なメッセージにもなり得ると思うから、こうしてブログを書いているのである。

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