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流血を好む橋では何が行われていたのか?

イタリア、ウンブリア州スポレートの丘の麓、ヴィットーリア広場の地下にあるこの橋には、「流血を好む橋 Ponte Sanguinario (ポンテ・サングイナリオ)」という大変恐ろしい名前がついています。

初代ローマ皇帝アウグストゥスが、フラミニア街道の改修を行った紀元前27年頃に建造されたものか、もしくは、さらに古くこの地域にフラミニア街道が通った紀元前500年頃の建築と言われています。

トラバーチンの大きなブロックで造られており、長さ約24m、幅4.47m、高さ8.07m。3つの半円アーチから成っていますが、その内一つは、現在の聖グレゴリオ門の下に位置しており、未だ地中に埋もれています。

「流血を好む橋」は、テッシーノ川を渡るための橋でした。しかし、何世紀もの時の経過ととともに川は流れをかえ、度重なる氾濫の堆積物により、橋自体も地中に埋もれていたところ、オーストリア皇帝フランツI世のスポレート来訪に備え、教皇領が大規模な公共事業を行った1817年に発見されました。

「流血を好む橋」という恐ろしい名前は、キリスト教迫害時代に付けられたものと考えられています。ここで刑が執行され、殉教者の首が、この橋の上から川に投げ捨てられていたそうです。

スポレートの守護聖人ポンツィアーノも175年1月14日にこの橋で殉教したと言われています。彼のはねられた首は3回バウンスしながら、現在、聖ポンツィアーノ教会が建てられている丘まで転がり(直線距離で250m程!)、首が地面にあたった地点からは、清水が湧き出てきたという伝説が残っています。

聖ポンツィアーノ教会
聖ポンツィアーノ教会のクリプト(地下聖堂)

また、他の伝説によると、この橋から丘の上のアルボルノス要塞まで、地下道でつながっており、1400年代後半、この地を統治していた、かのルクレツィア・ボルジアが愛人と会うために使っていたと言われていますが、秘密の通路は今のところみつかっていません。

アルボルノス要塞

偉大なローマ建築というよりも、その歴史に思いを馳せながら、見学する価値があります!

フラミニア街道について

アルボルノス要塞について


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