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聖なる境界線 ~タルクィニア④ ネクロポリスの壁画~

前回に続き、今回もタルクィニアのネクロポリスの壁画について。

こちらは紀元前520年頃の「雌ライオンの墓」。
正面の壁画、屋根のすぐ下の三角の部分に描かれた、この写真ではよくわかりづらいですが、大きな乳首と斑点のある向かい合った2頭の動物。
斑点のあるライオンがいるのか?と思ってしまいましたが、これは名前を付けた発見者が単に間違えただけで、豹のようです。豹は、エトルリアの豊穣と酩酊とワインの神様「フフルン」の聖獣でした。フフルンは、ギリシャ神話ではディオニソスに当たります。

「雌ライオンの墓」

正面には、大きな壺と楽器を奏でる人が2人、踊りを踊る人が3人。サイドの壁には体を横たえ宴会に参加している人達が描かれています。一般的には、遺灰を壺に入れる儀式の様子と解釈されていますが、この真ん中に描かれた壺、人間がそのまま入れるぐらいの大きさで、骨壺としては超でかい!実際にはこのように大きな骨壺は見つかっていませんが、壺に重要さを与えたかったのか、それとも遺灰のための壺ではなかったのか。。。最近の研究では、壺は聖なる入れ物で、故人の魂があの世へ順調な旅立ちができるようにしたと言われています。

下部には、紫がかったグレーの海にイルカが描かれています。エトルリアの神話ではイルカは「フフルン」の海の長旅に付き添い、エトルリアの船の船首にはイルカが彫られていました。そして、当時ティレニア海を航海している人に冬至点を示していた半分ヤギ、半分魚のやぎ座にはイルカのシッポが残っています。(現在の冬至点は、いて座)エトルリアでは、海にイルカはかかせない動物だったようです。

そして、ここにも天井には大きなチェスボード柄が描かれています。
(チェス柄については前回の記事に書いたので参考にしてください)

チェスボード柄で描かれる十字、境界線がいかに重要だったかは、エトルリア人の新都市を建設する方法でもわかります。

エトルリア人やラテン人が新しく町を築く際には、綿密で事細かな一連の儀式を行いました。まず、最初に卜占官ぼくせんかんと呼ばれる祭司が、鳥の飛び方や鳴き声などから神意を伺います。そして、南北、東西の2本の主要道路を直角に交差するよう作ります。チェスボード柄で描かれる十字です。その交差点には、ムンドゥスと呼ばれる丸い穴を掘り、そこへ将来その町に健康、繁栄、平和、正義がもたらされるよう宗教的シンボルが埋められました。儀式は、ムンドゥスの恵みが領地いっぱいに広がるよう何日間にも渡りました。そして、犂を使って町を囲む境界線となる溝がも掘られました。掘られた溝に城壁をすぐに建築することは不可能だったので、その溝と平行にもう1本の溝が掘られました。その2本の溝の間の細長い土地はポメリウムと呼ばれ、祭司はそこに死霊、亡霊、病気の悪魔、戦い、空腹、悪疫の霊など町や住民にネガティブな状況をもたらす全てのものを閉じ込めました。ポメリウムは町を守ってくれる神々に独占的に捧げられた場所だったため、建築は許されず、また農作することもできませんでした。そして、門がある場所を除いては、通過することさえできませんでした。

古代ローマも、このエトルリアと同じ儀式が行われ建国されました。ローマ建国の伝説に登場する狼に育てられたという双子のロムルスとレムス。レムスはロムルスに殺害されますが、それは、レムスがロムルスがひいた溝を武装して超えたためです。境界線を越えただけで殺害するのは行き過ぎだと思われるかもしれませんが、レムスが超えた溝はポメリウムであり、レムスは神聖な土地を汚したという重大な罪を犯しているのです。

現在は、境界線の土地を神々に捧げるようなことはしませんが、境界線は今の世の中でも大事だと思うんです。他国に干渉することにより、現代でも戦争が続きます。文明が発達していなかった時代と思われている古代から、今の私達が学べることはたくさんあると思います。

「狩猟と漁の墓」 紀元前520年~510年
「狩猟と漁の墓」細部
「猟師の墓」 紀元前510年~500年
猟師のテントをイメージして描かれた壁画の屋根は
少しバージョンが違うけれどもチェスボード柄!
奥の石の台には、棺の足をはめ込むための穴が4つある。

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