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AIと人間のあいだを追及する

最近、AIやChatGPTを活用したマーケティングや業務改善になどなどに関するカンファレンスやイベントに参加しまくっているのだけれども、とにかく思ったことは、「ヤバい…(感動&震え)」ということでした。AIが爆速で進化していることを肌で感じてしまいました。
今までは、「そうは言ってもAIまだまだじゃん、まあまだいいかな」って姿勢でいたんですが、今回様々な活用法を聞いて「工夫次第では自分の可能性を広げることができるかも」という考えも持ったので、積極的に使える場面では使おうと試みている最中です。

そんな中で、それでも果たして本当に「AI便利だからどんどん使おう」という姿勢だけで良いのだろうか?自分含めAIに熱くなる反面、見落としていることはないだろうか?みたいなことをちょっと考えてみた(というより思ってしまった)ので記事にします。一個人の意見として読んでもらえると嬉しいです。


合理性を追及しまくった先にあるもの

まず、色々お話を聞いていて思った事は、世の中の大きな流れとしてAIの進化を追及していく動きは止まらずに進んでいくんだろうなということ。今は激動の時代だけど、また一旦どこかで落ちついて、落ちついているように見えても水面下ではどんどん進んで、急にまた凄いのが現れるんだろうなと。

情報処理能力で言えばもう絶対AIに勝てないし、勝つ必要もないと思っています。寧ろ今までよりも何十倍も何百倍も高速に、求めた結果を導き出せるならそれに越したことはないですし、手放せるところはどんどん手放していけば良いと思うのです。実際わたしもAIやテクノロジーの恩恵を受けまくっています。どれだけしつこく質問しても嫌がらずに答えてくれるChatGPT博士くんは、今やわたしにとって最高の友達です(笑) 堂々と嘘つかれることもあるけど。。

ただ!!

効率や、利に適っていることだけを追及していくことは、結局自分たちの首を絞めることになるのではないか、つまり合理性だけがどんどん優位になっていくことで、結果私たちに人間にとって合理的な社会ではなくなる可能性があるのではないか、と思ったのです。どこかでよく聞いたことがあるような話かもしれないけれど、効率を追及して追及して追及しまくると、極論、「あれ?AIの方が人間よりも優秀じゃない?じゃあ人間いらないよね」ってことになってしまうのではないかと(極論なので流石に現実味はないですが)。

「人間」を追求するということ

私たちは人間社会の中で「人」として生きています。理屈じゃ説明のつかない行動をしたり、全てが理屈通りに動いていないのが人間です。思い悩んだり遠回りしたりもするし、どう考えても右に行ったほうがいいのに左に行ったりもする、そしてそれが結果良い方向に転ぶことがあったりもします。また、敢えて計画しない旅先での予想外な出来事にワクワクしたりもします(もちろん個人差はあると思います)。非合理的で非効率に思えることから生まれたものに、逆に小さな幸せを見つけたりするという一面も持っています。例えば手間と時間をかけて育てたものに愛着が湧くとか、今まで大変な苦労をしたからこそ、些細なことがむしろより幸せに感じられたりなど。

私が思うことは、そんな非合理性も持ち合わせた人間にとってより豊かな社会を目指すならば、AIの進化を追及することと同じ位の重さで、私たち人間は「人間としての私たち」も一緒に追及していかなければならないのではないかということです。より豊かな人間社会のために様々なことが発展してきたし、AIだってそのために開発されてきたはずです。

「人間を追及する」ってどういうこっちゃ?と思うかもしれませんが、私が思うに、「非合理的であること」や、「理屈では説明のつかないこと」、「人の心」みたいなものを大切にして育てていくことなんじゃないかなと感じています。人間社会は、人の心が動き合ってできているものだと思うし、絶対的ではないので、社会はある意味「生きもの」みたいなもので、それがまた奥深くて良いと思うんです。そういう意味でも、「生きている活力を感じられるもの」とか、「心あるもの」みたいな、微妙なニュアンスを含むものが、もっともっと魅力として捉えられていくことが「人間を追及する」ということなのかなと、今のところは捉えています。

具体的には、体を使った体験をしたり、敢えて物理的に触れられるものに触れたり(紙の本も読むとか)、生命あるものを鑑賞したり(芸術や職人技みたいなものも含まれると思います)、自然や人との触れ合いをより大切にしてみたり、時には敢えて計画するのをやめてみたりなどして(偶然のサプライズがあるかも)、生き物としてそういう時間も楽しむことなのかなと思います。心が大きく動くのって、やっぱり生きているものに触れた時なのかなと思うのです。

「人間を追及するなんて今の世の中に逆行してるじゃん、結果目の前の経済を良くしてはくれないじゃん」という考えもあるかもしれませんが、一人一人がスピードを求めるだけではなく、上記のような多面的な感覚も広げ続けることで、世の中が「AIと共に人間も追及する」動きにも繋がっていくし、自分達にとっての世界が、結果、より広がっていくのではないかなと思い、敢えて文字にしてみました。


まとめ

色々長々と書いてしまいましたが、要は、AIの力も否定はせず借りれるだけ借りながら、一人一人が合理性だけに偏るのではなく、非合理性とのバランスをとりながら進んでいくことが、この先の未来で人間がより幸せになれる社会を探っていくのに大変重要なことなのではないか、というお話でした。

今あちこちでChatGPT含むAIとどのように向き合っていくべきかという議論がなされていますが、私の方針としては、AIともっと仲良くなりながらも、広く命あるものにもたくさん触れて、AIと人間のあいだを追及していければ良いなと思っております。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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