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不登校の長男の卒業式。

時代劇のような固定観念から脱却し、
令和の父親になるためアップデート作戦中!


こんにちわ、ナツキのパパです。


小学2年生の3学期から不登校だった長男が、
不登校児という肩書きのまま、
昨日、卒業式を迎えました。

卒業おめでとう。


おめでとう・・・なのか??
何がおめでたいかはよく分からないけれど。笑


学校で行われた卒業式に関しては、
母親と一緒に保護者席での参加で、
自身の卒業証書は校長室で授与の形でした。

でも、そんな形であってもね、
学校に足を運ぶことを決めた彼の気持ちに、
上手くいえないけれどボクは感動するし、
寄り添いたいし、汲みたいし、
彼の中にある「強さ」みたいなモノを感じます。

彼には彼なりの思い入れがある


親の目線というかボクの目線でいえば、
彼は学校での思い出も少ないだろうし、
学校に何か特別な思い入れがあるかといえば、
然程ないのでは?と思ったりもします。

でも、彼には、
彼なりに思うことがあるのでしょうね。

卒業証書にしたって、
何かしらの意味を感じでなければ、
ただの紙切れに過ぎないし、
ただ紙切れを貰う為だけなら、
行こうとは思わなかったかも知れないし、
皆が帰った後でも良かったと思います。

でも、彼は、

皆んなが順番に名前を呼ばれ、
そして証書を受け取る姿を、
保護者席から見守ることを選びました。


果たして、どんな気持ちなのでしょう。

※実は、昨年秋に行われた運動会の時も、
競技に参加しないどころか「欠席」の形のまま、
保護者と同じように外から同級生達の姿を見守ることを選んでました…。


そして、そんな彼は、
1人でひっそりと学校を去った訳ではなく、
実は式が終了して皆んなが戻った教室に入り、
殆どの話したこともない皆がいる教室で、
先生やクラスメートとの最後の挨拶に参加して、
皆んなと一緒に下級生がつくる花道の間を通って学校を出てきました。


ボクは同席できなかったのだけれど、
朝、家を出る時に、自然と声を掛けました。

「行ってらっしゃい!」


そして、そんな言葉に彼は、

「行ってきます!」


そう、ハッキリと笑顔で答えてくれました。


・・・ん? これ、いつ以来だろう!?

ボクが仕事で家を出る時の「行ってきます」に、
返してくれる形の「いってらっしゃい」はある。

でも、彼が学校に行くために交わした、
「いってらっしゃい」と「いってきます」は、
一体いつ以来になるんだろう??


少し経ってから、ちょっと涙でた。。


別に学校に行って欲しいって気持ちはとうに無かったのですが、なんか急に「ぐわっ」と来ました。。

そうして、小2から不登校のまま、
特に再登校することなく小学校を卒業した長男。

たぶん、中学校も行かないと思います。
実は学生服も買ってません。

それでも、彼との関係は良好だし、
彼なりに心身は成長してることを日々感じます。


彼の未来は何も閉ざされてないし、
彼の未来もボク達の家庭も、明るい。

彼が笑顔でいられる今の毎日が、
ボクは心から嬉しいし、幸せです。


また、うまい事は書けないけれど、
どんな形であれ、
今日この日を迎えるまでには、
周りにいる人との関わりがあって、
色んなタイミングで色んな人の支えがあって、
そして今日があること。

そのことに、皆様に、常に常に、

常に身の回りにある全てのことを当たり前のモノと思わないように、感謝の気持ちを忘れずに持っていたいなと思います。


ひとまず、これまでありがとうございました。
また、これからもよろしくお願い致します。

身長はめちゃ伸びて母親に追いつくほ程の長男。



不登校あるあるだと思いますが、
例に漏れず?ボクも初期は迷走しました。


当初は困惑したし、向き合い方が変わるまでに段階を踏みました。


不登校を選んだからといって、不幸なんてことはないよね。


拙い文章ではありますが、ボク自身が不登校の当事者として感じた事や思う事をこちらでも書いていますので、もし宜しければ併せてご一読頂けたらと思います。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。