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「明日は行く」の言葉を「嘘」だと決め付けないで。

昭和の固定観念は時代劇!
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こんばんわ、ナツキのパパです。


「明日は行くと言いながら、
 朝になったら行かない」


twitterなどのSNSでよく見かける、
不登校の子を持つ保護者の悩みの声の1つです。

この言葉で心身が疲れ果てて、
もう嫌だと弱音を吐いたり、
かなり想い悩んでいるお母さんをよく見ます。

また、その言葉に期待してしまった分だけ、
やっぱり休むと言われた事に、
裏切られた気持ちになって苛々が募ったり、
お子さんに対し怒りのよな感情を覚えてしまう、
そんなお母さんもよく見ます。

その気持ち、よく分かります。

ただ、お子さんの言葉を、
どうか「嘘」と決め付けないでください。

もちろん状況は分かりませんし、
ボクには何も責任は取れなくて、
無責任な言葉に聞こえるかも知れないけれど、
お子さんの言葉の背景にある、
お子さんの心の状態と声にならない声に、
どうか耳を傾けてあげてください。

「明日は、行く」の意味。


「明日は、行く」という言葉を聞いた時に、
行ってくれるのかと期待してしまうかもですが、当日の朝になって、
やっぱり行けない、行かないという言葉を、
嘘と断じないで欲しいのです。

もしかしたら、
そう言えば穏便に済むからというような、
その場凌ぎの嘘ではないかも知れない。

少なくとも前日の夜までは、
本気でそう思っているのかも知れない。

少なくとも、そうしたい、、
そうじゃないと自分はダメ人間だと、
追い詰められていたり、
奮い立たせていたのかも知れない。

学校に行くことを考えただけで、
具合が悪くなる状態を考えたら、
言葉にするだけでも、
十分に頑張っているのかも知れない。

でも登校することだけが頑張り、
なんて事はない。

自分の頭で考え、
自分の意思で頑張ろうとする、
その意味で頑張っている。

だから、少なくとも決意は本気だった、
でも登校時間が迫ったら、
心理的ハードルが上がって、
気分が変わったのかも知れない。

だから、
朝ちゃんと起きれたとか、
朝ご飯を食べれたとか、
着替えまではできたとか、
スモールステップで見るのも大事で。

何が言いたいかっていうと、子どもが当日行けないったなった時に、

「昨日『行く』って言ったでしょ!」

と言わないで欲しいのです。

「昨日は行きたいと思ってたのに、行けなくって残念やったね」

と声をかけてあげて欲しいです。

もっと言えば、
登校だけが正解でもゴールでもないと思うけど、
(本人が)行きたいという場合は、
とりあえず心に寄り添ってスモールステップで、
下手に背中を押すのでもなくて、
静かに見守って、
本人の様子を見ながら、
必要な時だけ励ましてあげて欲しいなと思います。


選択肢がないからこその「行きたい」。

最後に。
もう1つだけ補足しておきたいことがあります。

それは、行きたいという言葉が意味すること、
その言葉を発する心理的な背景についてです。

ここまではそのままの意味で書きましたが、
そもそも、次の可能性があると思うんですよね。


それは、「学校に行かない」事について、
他の選択肢がある事を知らないから。
行かないという選択を肯定できないから。

学校に行けない=ダメな人間、
そんな風に思っていたり、あるいは、
「親にそう思われている」と考えているから、
かも知れない。

だからこそ、
「行かなければならない」という、
「選択肢のない答え」に対して、
行こうという気持ちを奮い立たせている場合。

子どもは、その気持ち、状態をさして、
半ば無理やりに自らを奮い立たせながら、
行きたいという言葉で表現しているに過ぎない。

つまり何が言いたいかというと、
「行きたい」という気持ちを捨てられない子供にこそ、「行かなくてもいいんだよ」と安心させてあげたいんです。

その選択肢もある事を知って貰ったうえで、
心の声に素直になって貰って、
お母さんやお父さんには心に寄り添って貰って、
その上でお子さんの気持ちを尊重して欲しい、
その上で話し合って欲しい、
隣に立って声を掛けてあげて欲しい、
と、そう思います。


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過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。