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イケメン後輩君のまさかの一言


 学生時代、あまり真面目に部活動やサークル活動をしてこなかったので、後輩を持ったことがなかった。
 自分が後輩でいる分には、先輩の話をよく聞いて、適度に忠実でいて、頼り、甘え、先輩のアドバイスを実践すれば良かった。だが自分が先輩になったときに、何をどうしたらいいのかさっぱり分からず、お手上げだった。

 私が初めて後輩を持ったのは、社会人2年目の終わりだった。
 G君という1つ下の男子が私の部署にやって来た。G君はとんでもないイケメンだった。
 
 初めて後輩を持った私は浮足立って、早速飲みに誘って、奢った。楽しかった。
 仕事もしっかり引き継ぎ書とマニュアルを作って渡し、「わからないことは何でも聞いてね」と、万全のフォロー体制を整えた。あれもこれも全てお膳立て。彼の仕事をしっかり見て、悩んでいそうだったらさりげなくアドバイスをして、仕事の内容を褒めた。

 そうして数か月が過ぎて、気付いた。あれ。彼は私にアドバイスを求めたり、相談をしてきたりしたことはないな、と。
 
 今思うと、そんなことをしなくても彼は自分で考え、行動し、だめならアプローチを変え、実践し、成功できる男だった。そういうタイプだった。
 
 でも私は、自分が頼られないことがショックでもあり、ムカついてしまった。後輩なのになんで先輩の話に耳を貸さないのだ、と、勝手に怒った。
 今考えるととんでもない勘違い野郎は私なのだが、当時は「G君は後輩力がない」と、彼のことを煙たく思っていた。
  
 そのうち「指導」を諦め、私は私で勝手にやることにした。後輩だから何かしてあげようと思わず、G君はとんでもなくイケメンだったので、私は「きょうも美しいご尊顔を拝ませていただきありがとうございます」と、G君に手を合わせながら仕事をした。

 まあ実際にG君はちょっぴり生意気で、いちいち私と張り合ってきた。
 私も先輩として、G君に後れをとってはいけない。
 「あんたなんて私の足元にも及ばないのよ」と鼻で笑いながら、私は私の仕事にとにかく集中して結果を出した。

 G君が成果をあげたときは「おめでとう、良かったね」と言いつつ、内心は叫び出しそうなくらい悔しかった。
 G君は人としては性格が合わなかったが(違う野球チームのファンが一緒に野球中継を観ると喧嘩になる)、仕事仲間としては尊敬する部分もあったし、よくみんなで遊んだり飲んだりした。

 そうして2年ほど一緒に過ごした頃、私に内示が出た。
 それは希望していた部署ではなく、事実上の左遷だった。
 無能な上司の忖度人事。
 私は酷く落ち込んだが、そんな姿を人には見せられない。「仕方ないよ」と気丈に振舞った。

 内示が出た数日後、深夜0時ごろ、G君と駅前のパブで会った。それぞれ飲み会を終えた後だった。海外サッカー中継が流れる薄暗い店内で、私と向き合ったG君は、突然号泣し始めた。「俺は!あなたの背中を追って、これまで、やって来たのに…」。

 その瞬間、私は悟った。
 先輩があれこれ言わなくても、何かを押し付けなくても、後輩は勝手に成長する。理想の後輩像を押し付けようとすればするほど、後輩は離れて行ってしまう。このとき私は、いつもクールなG君がしゃくりあげながら目を真っ赤にして涙をぼろぼろ流している姿を見て、先輩に必要なことは、あれこれ言いすぎず、食事をしたら黙って後輩の分も支払うことだと、学んだ。
 私は初めて、心から、G君が後輩でよかったと思った。

 異動してからもG君とは定期的に会って、酒を飲んだりご飯を食べたりする。近況報告をしたり、仕事の話をしたり。
 彼にアドバイスを求められることはない。
 なぜならG君は相変わらず私のことを「対等な人間」だと思っているし、私もそう思うようにしたからだ。
 実際、たかだか1年長く働いているだけでえらいわけじゃないし、私たちの間に大した差なんてない。
 G君はG君で、「後輩」の肩書を押し付けてくる面倒くさい私との付き合い方に悩んだと思うが、今はちょうどよい距離感になった。

 そんな彼が先日、ほぼ初めてと言っていいくらい、私に相談を持ち掛けてきた。
 「最近後輩が異動してきたんですけど、こいつがまあだめな後輩で。こっちがお膳立てしてやってるのに取り組まないし、締め切りは守らないし、何か教えても言うこと聞かないし。何考えてんですかね」。

 そう憤る姿は、まるで数年前の自分を見ているようで、私は思わず笑ってしまった。
 彼も、後輩と付き合うことは苦手なのかもしれない。

 「数年前の君もそうだったよ」なんて無粋なことは言わずに、「それは苦労するね」とねぎらった。

 先輩でも後輩でも、1番大切なのは、話を聞くことに違いないから。

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