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発達障害持ちでも人生は身の回りの環境で決まる

仕事が終わって帰宅すると晩御飯を食べて…
そのあとYouTubeみて風呂入って寝る。

疲れなのかやる気なのかいろいろ執筆しようにも動けない現状です。

最近やっと通勤帰宅中に本を読むという習慣ができ始めました。
最近読んでいるのが『発達障害「グレーゾーン」生き方レッスン(岡田尊司 著)』。

発達障害でもグレーゾーンの人について取り上げたもの。
うまく生きていくための一冊です。

自分自身も不注意優勢型のADHDと診断を受け、うつ病とともに生きているのですが、どこか生きづらさを感じています。

この本を読んでいると、現在の自分に当てはまることだけでなく、過去の出来事も関わってきており、いまの生きづらさの原因がわかってきたような気がします。


家族からの愛情を受けなかったことで他人の顔色を伺って行動したり、他責転嫁になりがちだったりでかえって周りから悪評を買うことになってしまったことも数知れず…
過去のいじめでは家族や学校からも過干渉や存在否定、仲間外れに人格否定されたりとつらい人生を送ってきました。
しかし、そのつらい気持ちをどこにも吐き捨てることができなかったり、逃げ場がないまま重い蓋をして何事もなかったかのように生きていたこともあって社会人になってから仕事におけるストレスや(ADHD等での)コミュニケーションがうまくいかないこともあって、重い蓋をしていたバケツからついにあふれ出してしまい、うつ病に至ったことが大きい要因かもしれません。

正直、いまもうつ病による残遺は続いていている状態です。
もちろん、医者からも寛解の宣言や診断はありません。


これまで対人関係によって大きく人生が歪んでいるわけですが、同じようにうつ病や発達障害を持っていても人生それなりにうまくいっている人だっているわけです。

その差は何なのか。
それは、題名の通りにある「身の回りの環境」なのでした。
正確な診断を受けていないので確実とは言えませんが、抑うつ、ADHDに加え、”愛着障害„が今の生きづらさを形成させてしまった可能性があるのです。

先ほどのいじめの経験等でどこにも逃げ場がなく、つらい気持ちをなかなか吐き出せなかったといったわけですが、いじめを受けていた時にはごく一部の友人からも担任からも相談に乗ってもらうことができず、ましてや家族にも相談ができなかった。というのが大きく誰からも受け入れてもらえる場所や安住の地がありませんでした。

誰からも受け入れてもらえないがために、愛着障害が発生し、自己肯定感が低くなったり、他人に話しかけるときは顔色を伺ったりということが今でもザラにあります。

しかし、障害等を持っていてもいじめや親からの干渉、何かしら逃げ場があった人はどうでしょうか。
Twitterやインスタグラムなどのフォロワーさんと話すときがあるのですが、同じ障害持ちでも多くの交友関係を持っていたり、結婚していたり周りから受け入れられていたり、そもそもポジティブだったりといろんな人がいます。

それはオタクだろうとオタクでなかろうといえることです。
実際、その人たちの追い立ちが知りたいところですが、そんなこと聞いてもいいのか?という自分がいてなかなか進歩しないのもあります。

―過去の育ってきた環境がその人の人生を左右させる。
私はその失敗したほうに振り回されているんだということを今読んでいる著書を通じてそう思うのでありました。

fin.

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