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【雑感】親には既に帰省する実家はないということ

両親のうち、父は昨年死んだ。
親戚の遺産を三千万以上使い込んで、千四百万の支払いを遺して。

母は生存して87歳、実家で一人暮らし、近距離で子と福祉の援助を受けながらなんとか暮らしているが、最近はボケ具合も激しい。

改めて、母の状況を振り返ってみて、認知症を発症した高齢者が、自宅で住み続けるのは本当に困難なのだと感じる。
冬になれば籠り、こたつから出てこない。
夏は夏で、油断するとクーラーを切るし、食材は腐る。
広めの実家で、もう45リットルのゴミ袋をこっそり何袋作ったか覚えていないが(50袋くらいか?)、それでもさほどものが減った気がしない。
父の紙ゴミはまだガレージに残っているので、ガレージに屋根付き部分は使えていないが、先日覗いたらそこに勝手に紙ゴミが増えていた。

ここで行政が介護サービスを充実させるべきだと声を上げるのは簡単な話だが、実際のところ、行き届いた介護というのは本当に人手がかかることで、そう簡単にはいくものではない。
実際金もかかるし、二十四時間同居して面倒など見てはいないが、不定期に対応しなければならない諸々は、遠隔で転勤と残業の多い仕事をしたままでは確実に不可能だったろう。

まあ、私が辞めて帰ってきたのは、父が全く信用ならず多額の借金を作りそうだったのでというのが理由として結構大きいのではあるが(それでも1400万の負債は防げなかったが)、両親ともに倒れて、二人を施設に入れるのも、片方だけを施設に入れて残りの親を徘徊の心配をしながら遠距離で見るのも、いずれにしても負担は大きい。

固定記事にも書いたが、母は一見元気で少し話しただけではそれほどボケていないように見える。
だが、おそらくそう遠くない時期に母は私すら忘れるだろう。

今日冷蔵庫を確認したら、予想通り多くの野菜が腐り、冷凍庫には期限切れの食材が詰め込まれていた。
昨日はスイカの半分をくれたのだが、今日は「いつのまにか減っていた」と言う。
先日は領収書が何か分からなくなっていた。

そんな母だが、ケアマネージャーとの面談の際には,
「生い立ちを聞かせてもらえますか。」
と言われて、自分がいかに自分の地元で可愛がられていたか、父が早世して苦労したか、第一期の試験採用で公務員になり仕事で有能だったかを存分に語っていた。
母の話には、ケアマネージャーが困惑するレベルで父が登場しなかった。
「お父様とはどこで知り合われたんですか」
と水を向けても、すぐに自分の話に戻り、すぐに父は話から姿を消す。

どうやら父が生涯通じて外道すぎて、その所業を脳裏から抹殺したら、母の記憶にほとんど留まることができなかったらしい。
確かに、母は七十代前半までは、父とは絶対に同じ墓には入りたくないと言っていた。
ここが不思議なところだが、認知症になるにつれ、母は父の所業という辛い思い出を忘れ、「お父さんも人に騙されて苦労した」という記憶の改竄を行なって、見栄えだけはいい父の写真をA4に引き伸ばして額に入れてまで飾っている。

さすがダメンズメーカーの共依存夫婦と思わないでもないが、半世紀、父の所業に常に怒っていた母は、認知症とともにそれを忘れ、今いっそ平和ですらある(平和ではないのはこちらだ)。

人生の、まさに晩年を迎え、ここで盆の話になるのだが、真夏の盛り、母の郷里へ母を連れて行くのは無理だろうと、先のGW直後、母の実妹には車を100キロ走らせて会わせに行っておいた。
当然、母の両親は当たり前に鬼籍で、母は三姉妹だが、長女は既に身罷り、次女の母と三女の妹しか残っていない。
会わせに行ったときに、いとこに聞いたが、母の妹である叔母も既にかなりボケてしまって、色々とおぼつかないという話だった。
(私が横で聞いていても、二人の会話は全く噛み合っておらず空中戦のようだったのだが、これは昔からそんな感じだったので、ボケたせいかは判別できない)

正気で叔母(実妹)に会わせることができるのはおそらく最後になるだろうと思いつつ、もしかしたら、それはこちらの勝手な自己満足なのかもしれない。
母の盆は、既に帰省するという季節ではない。

だが、自己満足かもしれなくとも、こちらが後悔しないように、もちろんできる範囲で、できることはやっておくべきだと思う。
盆、衰えゆく母を眺めつつ,思ったことを書き記しておく。


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