小学校入学1年前の娘はどんな感じだったか?
① 友達は書けるけど私は入学してから勉強するという娘
娘自身がこの事を言っていた時期は5歳の12月ごろ
入学準備の勉強を周りの友達たちはすでに始めているようでしたが今はやりたくない為、私自身も無理にはやらせないという時期でした。
それから半年の月日が過ぎて6月くらいの時期の事になります。
当時、保育園で手紙を書いて交換するのが流行り、娘はまだまだひらがなを書くことが出来ない為、悔しがり自ら練習し、娘はこのくらいの時期から、練習しなさいという事も無く
娘自身で考え夕食の準備をしている時はひらがなを書けるように練習をしている日が続いておりました。
この事からも、娘自身の成長は学力に特化してるとは言えず
どちらかと言えば、外を走り回っている事の方が多く言ってしまえば脳筋の部類でした。
5歳の頃を思い返しても保育園で行われる運動会等では走るのが速い方でありましたが、上り棒等で使う筋力は弱い傾向。
水泳も辞めてしまい、4月からのいじめ・威圧等も重なり心身共に体調不良が続く日々だったと日記に記してありました。
② ひらがなを書けるようになる年齢は?
ちょっと気になった事だったので、今になって調べてみると
4歳児では半分以上、5歳児ではほとんどの子どもがひらがなを書けるようです。
目安になるのは4~5歳と言えます。
それと対比しても娘がひらがなを書けるようになってくるのはさらに半年以上遅かったという事が今になってわかります。
当時は私自身もあまり気にはしていなかったという事が本当に抜けているというか……。なんというかと思ってしまいます。
今になって当時を振り返ってみるとあ、親としてはダメな部類に入るのでしょう。
当時の日記からも、保育園に通って絵日記を書きたいという事がありました。
絵日記と言う事からも夏の時期を連想させられると思います。
まだ、覚えていないひらがなの書き方があり
書けるようになってから始めようね。と言い聞かせたと記憶している事もあり、翌年入学を控えていても夏頃はまだ正確に書けていなかったと言って良いでしょう。
ひらがなが間違えないで書ける様になる時期は9月~10月くらいだったと思われます。
③ 私と娘の3歳児ごろから対比して思う事
・ ひらがなは適切な年齢になってから
さらに深く調べていくと早すぎてもダメ、遅すぎると入学してからの勉強に影響が出てしまう。という事に繋がるようです。
娘はどちらかというと遅かった方の部類に入ると思います。
入学する前の年の6月に練習を始めたようなものですから……。
それでも、娘にとっては最適の時期に学習をしたという事になるのでしょう。
「早く覚えてほしい。」と思う事が大半だと思いますが、私は当時そう思った事はまったくありませんでした。
改めて振り返ると、驚きと発見があります。
・ 私と娘を対比して
私自身は幼少期の3歳になったばかりの頃に
遊びの中の学習により、たて棒、よこ棒、〇、✖の表記や濁点などが書ける様でした。
それと比較しても、娘はたて棒、よこ棒さえも3歳児の時期ではやめて!やりたくない!!と拒否をします。
楽しく学習していた私と拒否をする娘だった事もあり
その後、娘には教えるような強制を一切せず本人の興味が出る時期が来るのを待つ事になります。
この時期に私自身が娘に対して強制しなかった事が、のちの娘の伸び代が伸びる成長となるとなる事が解っていたからでもありました。
・ 娘の生活環境はどうだったか?
当時、娘には1年半後くらいにご退場となる母もおり、学習環境、食育等を私自身の幼少期と比較考察しても一つの方向をむいてはおらず、ブレ幅がかなりあった時期と思います。
育児放棄に近い状態だったのか?という疑問はありますが私が仕事で働いている日中は、母は今で言うソシャゲに類するものに明け暮れ、娘は常にeテレを見ることが多かった時期でもありました。
当時DSにてどうぶつの森を妻はプレイしており、娘はセーブをしないで電源を切る→リセットさんに怒られる→妻がブチギレ→娘に対して罵声というループが何回となく繰り返されていた事もしばしばでした。
今にして思い返すと、飼っていた犬も親父に理不尽な事で八つ当たりされると仕返しとばかりに親父の革靴へおしっこをするという事が繰り返されていたのと類似するなと思う事であり、母と娘の当時を思い返すと果たしてどっちの方が悪いのか?と考えさせられる事にもなりました。
娘はもう少し私に対して興味を持ってかまってよ!と言う事を言いたかった時期でもあったのだと思います。
この頃から私自身も仕事において負荷を掛けすぎて体を壊し始め肉体的にも精神的にもバランスが取れなくなりつつある時期に入っています。
また、日が落ちて18時頃になるとeテレの子供番組も終わってしまう事で、娘は言語化して説明するのがまだ難しい時期でもあり、言葉に出して言い表すことが出来なかった娘が泣き出し母親の罵声が娘に対して何回となく聞こえていたなんて言う証言が私の耳に届くのは、娘が4歳年末ぐらいの事でした。
この時期に、強制しなかった事、学習に関心のなかった妻
この2つだけは一致した方向を向いていたのが、今となっては幸いな事であった事がわかります。
ここで強制し、妻は出来の悪い娘を思って同一方向を向いていたなら真逆の結末になっていたと思います。
まぁ、結果論ありきになってしまいますが……。
こんな親からでも、娘は成長して父を超えて偏差値は70を超える化け物になるんだとは当時は思う事はありませんでした。
④ まとめ
子供に合わせた伸びる時に伸び代を集中する事で入学前ギリギリでひらがなを書けるようになり、小学校に入学していく事となります。
入学前の面談では、不安要素はなく真逆の意味で色々な質問をし担任となる教師からの評価は良かったようです。
また、小さな頃から声量があり声も大きく話すことが多かった為、新入生の対面式の挨拶に選ばれた時に担任から
「この子なら任せられるから代表として選びました。」と言うお言葉もありました。
小学生入学までの話は大まかにして話させていただきました。
今後も入学までの話を書きたくなる事がありましたら時系列を遡って話させていただく事があるかもしれません。
のま猫で怖がる、ドラ桐生も怖がる、涼宮ハルヒの憂鬱EDを数回見ただけで踊りだし、プリキュアよりセキレイを見て泣く娘などなど、需要があるかはわかりませんが書くかもしれません。
その時がありましたら、こんなこともあったのかと思っていただければ幸いです。
今後は小学生に入学し6年間で実際に起きた事を書き記していく予定であります。
娘にとって6年間がどのような成長をしていくのか?
実際問題として、偏差値70超えて成長をみせた娘の育成法の話が多くなるとともに、中学受験に際しての失敗などもありました。
私、娘の考察も含めて記述しある一定の指標として頂けると思いますが、必ずしも偏差値70への頂きになれるとは限らない事でもあると思います。
・ 追記
偏差値70の若手画家として成長しました娘の小学校入学前に書いていた3人の絵を取り込みトップの画像として掲載いたしました。(取り込んだ画像をそのままの縮尺でアップできればよかったのですが80%前後の縮小加工をした為、少し歪みが出てしまっています。)
娘曰く、当時の年齢を加味して、手・眉毛・鼻はまだバランスよく描けない時期ではありますが、そのほかのパースと上手く取れているんだなとの事を話していたと共に眉毛・鼻は可愛く描けないから描かなかったと娘は覚えているようです。
これに関しても、可愛く描く技術を向上させ後に描ける様になっていきます。
こちらも細かく考察していくと、
・絵を描くポイントとして首が描けている
・服のパーツ、靴・眼鏡などの小物類が描ける
・全体的な体のバランスが取れる
という事で、本来このくらいの絵を描ける様になるのは7~8歳くらいからと言う事もわかりました。
9歳までは、描けるクオリティと発達が比例傾向にあり
何歳まではこういうものが描けるという基準のようなものがあるので子供の発達の参考になる部分でもあり指標になると思います。
イラスト系の絵師ではないですが、本来は絵画の若手画家としても活動をしています。
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