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「ウンテル、デン、リンデン」に、ずっと行ってみたかった。

きっかけは、高校のとある国語の授業だった。

当時の国語の先生は、自分の親世代くらいの白髪の恰幅の良い男性の先生だった。その先生は、丁寧かつ声が良く、聞いていてとても頭に入ってくる音読をしてくれていた。先生の声で読み上げられた文章は情景が想像しやすく、今でもよく覚えているほどだ。

その授業の中でであったのが、「ウンテル、デン、リンデン」である。

「ウンテルデンリンデン」とは、森鷗外の『舞姫』の中で描かれていたドイツの通りの名前である。(ドイツ語では「Unter den Linden」)

菩提樹下と訳するときは、幽静なる境なるべく思はるれど、この大道髪の如きウンテル、デン、リンデンに来て両辺なる石だゝみの人道を行く隊々の士女を見よ。胸張り肩聳たる士官の、まだ維廉一世の街に臨める窓に倚玉ふ頃なりければ、様々の色に飾り成したる礼装をなしたる、妍き少女の巴里まねびの粧したる、彼も此も目を驚かさぬはなきに、車道の土瀝青の上を音もせで走るいろいろの馬車、雲に聳ゆる楼閣の少しとぎれたる処には、晴れたる空に夕立の音を聞かせて漲り落つる噴井の水、遠く望めばブランデンブルク門を隔てゝ緑樹枝をさし交したる中より、半天に浮び出でたる凱旋塔の神女の像、この許多の景物目睫の間に聚りたれば、始めてこゝに来しものゝ応接に遑なきも宜なり。されど我胸には縦ひいかなる境に遊びても、あだなる美観に心をば動さじの誓ありて、つねに我を襲ふ外物を遮り留めたりき。
森鷗外『舞姫』 青空文庫より

この文章を初めて読み、先述の先生による音読を耳にしたとき、見たこともない19世紀末のドイツ・ベルリンの情景が頭に流れ込んできた。
ヴィルヘルム一世とビスマルクの治世下、軍服を身にまとった青年士官や見目麗しい淑女が街を闊歩し、華やかな街並み、背の高い建物に目を奪われ、そのまま前方に視線を移すと聳え立つブランデンブルク門に圧倒される。

そんな未だ見ぬベルリンの強烈なイメージに取り憑かれた私は、ドイツという国自体に興味を持った。
その結果、20歳の時に夢が叶ってはじめての飛行機、はじめての海外でドイツに行き、ベルリンにも行くことができた。
舞姫は教科書でしか読んだことがなかったので、文庫本も直前に購入して持って行くことにした。

ベルリン市街には道中に立ち寄った程度の滞在であったが、かの有名なベルリンの壁のイーストサイドギャラリーや記念碑、テレビ塔を目にしても感動したが、「Unter den Linden」の通りの名前が書かれた看板を見た瞬間、鳥肌が立ったのを覚えている。

地名が今でも残っていること自体にも、木々の立ち並ぶ先にブランデンブルク門が見える情景がイメージ通りだったことにも、とにかくその場にいること自体に感動した。

なぜ舞姫が好きなのか、なぜ「ウンテル、デン、リンデン」に憧れていたのか、明確な理由はたぶん説明できない。
ただ、なんとなく好きなのだ。
自分の中でずっと、国語の授業の中で舞姫の朗読をするあの先生の声が聞こえていた。ドイツ語の独特な響きを伴って、憧れが膨らみ続けていた。

社会人になった今でも、あのときのドイツへの旅は良い思い出として覚えている。
ヨーロッパに行くには時間もお金も膨大にかかるのと、今のこのご時世のため、なかなか海外旅行は難しいが、またぜひ舞姫を持ってベルリンを歩いてみたい。


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