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理想が生活に勝つのは難しい。MVVに置いてけぼりにされた組織へ。

Mission(ミッション)、Vision(ビジョン)、Value(バリュー)を、よく目にする。

「もしかして、私たち、MVVに置いてけぼりにされている!?」。
そんなことを思う。

採用、人材育成、人事評価、企業の成長……。
企業活動のあらゆる部分に「MVV!、MVV!!」と聞こえてくる。

MVV(ミッション・ビジョン・バリュー)は、企業の方向性を示す三つの重要な要素です。ミッションは企業の存在意義や目的を表し、ビジョンは将来の目標や理想像を描きます。バリューは企業が大切にする価値観や行動基準を示します。これらは企業文化の基盤となり、戦略的な意思決定や従業員の行動指針として機能します。

chatGPT解説

金科玉条きんかぎょくじょう、経営の秘訣。
そんな圧力をWebや書籍、研修からもビシバシ感じている。確かに在るほうがいい。理屈も心が熱くなる。個人的にも在って然るべきだと思う。

だけど、多くの中小企業では、高尚なもの、理想では飯は食えない、と傍観して置いてけぼりにされてやしないかと思う。

「うちの会社はビジョンがないからダメなんだ」。
ややもすると、MVVが無いことに責任転嫁する。

それがないと本当にダメなのだろうか。
『ビジョナリー・カンパニー2(ジム・コリンズ著)』ではこう述べている。

偉大な企業への飛躍をもたらした経営者は、まずはじめにバスの目的地を決め、次に旅を共にする人々を乗せる方法を取ったのではない。まずはじめに適切な人をバスに乗せ、不適切な人を降ろし、その後にどこに向かうを決めている。

ジム・コリンズ. ビジョナリー・カンパニー2. 日経BP, 2001, 360p

創業からMVVがあるわけじゃない。MVVは「出発点」じゃない。

MVVは目標と云えるが「目的」だけではなく「手段」にもできる。
高尚でもなく、飯の食える理想にできるかもしれない。
そんなことを考えている。


多くの企業には経営理念、社訓、社是などがすでに在る。
それらが、忙しい日常に削られ、熱量を亡くし、いつしかほこりを被る。

理念では飯は食えない。
本音と建前、理想と現実……。
理念は風前の灯かもしれない。

理想が「生活」に勝つのは難しい。

実際そう思う。
それを何とかできないだろうか……。

そういう時は「MVV」に心惹かれる。閉塞感を打ち破ろうと企業の再定義を試みる。
しかし、MVVは生み出すことも苦しい。生み出したから成功が約束されるわけでもない。

むしろ、価値観が大なり小なり異なる人間の渦中に、いかに浸透させ、どう持続させるか、そんな工夫をこしらえるのは、えらく難儀をする。

さらに、この手の類は成果がわかりにくい。
立ちはだかる壁を「覚悟」で押し通す場面も多いだろう。
悪い言い方だと「価値観の押しつけ」である。そりゃ、お互いにしんどい。
気軽に試してみようというシロモノではない。

そして、MVVは「組織の判断基準」に成らないと意味がない。
ハリボテなら弊害に成り下がる。

例えば「スピード」。これは始める早さも大事だけど、意思決定の仕組み化も重要。いくら始めが早くても、100%を求めたり、承認階層が多ければ、その分遅くなる。指示が曖昧なら、やっぱりその分遅くなる。組織やその接続部分、仕組みが連動してこそ速度は発揮される。出来なければ価値観ごと疑わしくなる。

例えば「誠実」。それは評価が難しい。しかも幹部が破りがちである。もはやあるあるではないだろうか。「これくらい」という隙間はどこにでも存在する。たった1つでも発覚すれば破綻する。「誠実」はかなり危うい。人間を善だと過大に評価しているようで息苦しくなる。

MVVは判断基準や組織文化に成ると力強く、心強い。
しかし、それが揺らぐと組織も揺らぐ、諸刃の剣と云える。

ところで、MVVは最終目的なのだろうか。
その先には何もないのだろうか。

私はあると思っている。
辿り着いたのは、組織の宿命である「継続企業の前提(ゴーイング・コンサーン)」だった。

「世の中から必要とされる」。
これが継続できない企業はいずれ滅びゆく。ともすると「持続可能性を高める」ためにMVVがあると云っても過言ではないと思う。

持続可能性を高めるためにMVVを「手段」にする。
そしてさらに奥には、関係者が幸せに成る、それがある。

持続可能性を高めるには利害関係者の充実は欠かせない。
従業員、取引先、顧客、地域、株主。それらが充実しないのなら持続可能性にほころびがでてくる。

顧客が満足しても従業員が充実していないのなら……。

商品やサービスの「主体(作り手)」である従業員が充実せずに、果たして顧客の満足が持続するのか……。
それはないと思う。顧客に無償の愛なんて無理がある。

つまり、理想が「生活」に勝つ必要はない。
充実した生活を求めるなら、人を大事にして、取引先、顧客、地域を大切にして、株主を満足させる。そこに辿り着くはずだ。

だから、MVVは手段でいいと思う。
もっと生活密着型でいいと感じる。

そんな理念、私が好きな理念をご覧いただきたい。

いい会社をつくりましょう (伊那食品工業株式会社)

常に考える (未来工業株式会社)

全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること (京セラグループ)

三方よし (近江商人、伊藤忠グループ)

5方良し (人を大切にする経営学会)

どうだろう、平易な言葉だと感じるのではないか。
これならどこの企業でも目指していいのでは?

理想と「生活」が喧嘩する必要はない。

企業は「持続」を宿命として背負っている。しかし生存率は低い。
だからこそ、持続可能性を高めるためにやるべきことをとことん考える。

誰かのために仕事をしているから対価をいただけている。
それなら、まっすぐに「どうしたら役にたつか」を考え、実行すればいい。

真っ当に仕事をする。真っ当に生活する。
それをコトコトと煮詰めていけば、いい塩梅の企業ができるんじゃないか。

それだけの味が人間にはあると私は信じている。

どうだろう、MVVに置いてけぼりにされた組織は「持続可能性を高める」ことを目指してはいかがだろうか。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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