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人にどれだけ落とされて、人にどれだけ救われて

 人にどれだけ落とされたかわからない。
 しかし、それと同じくらい
 人にどれだけ救われたかわからない。

 結局、私に影響を与えたり、周りを構成するものはいつだって人であり、そこからそうそう逃げられるものではない。

 初めての職場は、特にその起伏が激しいようにも思う。

 私自身、まだまだ介護のこと、支援のこと、障がいのこと、そもそも人のこと、何にもわかっておらず、たぶん……いや、たぶんどころか確実に、今よりももっと精神の振れが大きかった。

 そこから、本当にいろいろなことを学んだ。
 それは何も技術的なことだけではない。
 人としての在り方、ものの見方考え方、本当に様々。

 そこで学んだことは、今でも、支援者として、人として生きていく上での指針、基礎、土台になっている。

 そして、そこで得た人とのつながりも、今も大切なものである。

 ひとつ前の職場にて、いろいろな騒動があって心が本当に疲れてしまい、年度の途中で退職を考えたほど追い詰められ、実際に上のものに話しを持ちかけたことがあった。

 以前の同僚(歳の離れた方であったが、本当に頼れる同僚たちです)にも弱々しくメールを打った。

 次の日、仕事終わりの時間に電話があった。

 そのときに話したこと、言葉はとても印象的で、とても力をもらった。

「死ぬ以外のつらいことはすべてかすり傷」
「人生はすべて二択性、やるか、やらないか。選ぶのは自分。自分で選んだからには後悔しない。また、後悔しないために、考え、決断した選択をよきものとするよう努力する」
「悪口を言われても、根本にある方針は曲げない。文句は出るもの」
「自分の存在……は思春期にもあったと思うが、そんなことを考えても仕方ない。あなたはあなた。ふみはふみ。それ以外の何者でもない。唯一無二。それでいい」
「落ちるところまで落ちたこともあったけれど、今にして思えば、そんなときもあったな、と思える。今を乗り切る」
 等々。

 本当に、その一回の電話で、様々な言葉をいただいた(この言葉たちも、うらみつらみのおと、に残しています)。

 その言葉を胸に、再び立ち上がって、戦って、結果的には一年半後、引き継ぎもすべて完了して、年度末に退職することとなった。雰囲気もがらりと変わり、よい状態にまでなったとは思っている。もちろん、新しく来た職員の方の助けがとてもとても大きいのはあったけれど。

 本当に、多くの人に、そのときは救われた。それがなければたぶん、今の自分はないだろう。

 そのときの経験がなければ、今のこの感覚、心はないと思う。当時はつらかった、けれど、今にして思えばよい経験、につながった。本当に、話しの通りに。

 人にどれだけ落とされて、人にどれだけ救われて、わからないくらいに。
 そのとき、ふと不安になるのは、私はそれだけのものを与えられているのだろうか、ということ。

 救われているばかりではなく、誰かの助けになっているのだろうか。

 それは、わからない。
 わからない、からこそ、意識していきたい。

 助けられてばかりではなく、誰かの救いになれるよう。

 私の言葉が、誰かの救いになるよう。

 私自身が、救われたように。

 

いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。