それは、ちょっとした、ほんのすこしの、きっかけ
今でも、鮮明に思い出せる。
私が初めて、障がいと呼ばれるものをお持ちの方が通う施設に、見学、面接を経て、採用試験として実習に行ったときのこと。
三月の終わりに近いころで、今思えばお休みが多く、利用者さんも少なかった。
初めてのかかわりの中で緊張もしていたし、どうかかわったらいいのかも、正直よくわかっていなかった。むしろ、人とのかかわり自体に、緊張もし、よくわからないものを感じていたかもしれない。
ひとり、重複の障がいをお持ちではあったが、会話ができる方(多少、一方向的ではあるけれど)がおり、その方の担当になった。
身体、知的、視覚、その他さまざまな障がいを重複している方であったが、底抜けに明るい声色が、私にはとても輝いて見えた。
全盲の視覚障がいをお持ちであったため、声や音が中心でのかかわりが多く、どちらかと言えば、あまり触れられるのは好みではなかった。けれど、本人からのかかわりで手を握るのは好き。それも後程わかることではあったけれど。
擬音語も好みで、ふざけた声で話しをしたりするのも好きだし、落語や童謡、音の鳴るようなおもちゃを好んでよく遊んでいた。
散歩に出かけたり、創作の活動をしたり、個別でかかわりを持つ中で、私にもその方の笑ってくれるポイントがわかり始め、楽しそうに笑ってくれた。
帰り支度をしているさい、その方から、それは自然に、本当に自然にーー名前を、呼ばれた。
まだ出会ってから数時間、ほんの少しのかかわりの中で、私の名前を覚えて、そして、その名前を呼んでくれた、こと。
それまであまり人とかかわりを持っていなかった私には、なぜか、とても、とても、うれしく、心に感動が響いて、熱くなった。
私も自然に笑顔になって、その方のところへ行き、お話しをした。
実習後の最終面接でも、そのことに触れ、この仕事がしてみたい、と真剣な心で伝えることができた。
その体験がなくても、きっと惰性で、働きたいです、と伝えていたとは思う。けれど、
あの体験があったからこそ、私は心の底からこの仕事がしたい、と思えたし、今もまだ、続けていられる。
単純に、名前を覚えられて、名前を呼んでくれたこと。私を必要として、私を呼んでくれたこと。ただそれだけのこと。言ってしまえば、ただそれだけのこと。けれど、そのことが、どれだけうれしかったか。
私を呼んでくれる人がいる。
あの体験がなければ、今の私はないだろう。
私は今でもそのことを記憶に、心に留めている。
初心に立ち返るとき、私は今でもそのときに感じたことを思い出し、立ち上がれる。
本当に、感謝しています。
今でも、あなたの、おかげで、こうしていられます。
本当に ありがとう ございます
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。