どこに向かおうか
水の流れる音に導かれながら歩いていると、見知らぬところに出た。
未だ流れは途切れることなく続いており、誘われるがままに、歩いていく。何にも考えられず、ただ。
不思議と他の音はいっさい聞こえない。集中が水に向かっているのか、本当に音がないのかは判別がつかず、たいしたことでもない、と考えるのをやめる。……そう、何も、考えたくなかった。
水はどこに向かっているのだろう。
そもそも、ここはどこだろう。
見知らぬところどころか、どこにいるかもわからない。しかし、不安もない。ただ、その流れに身を任せて歩くだけ。
どれだけ歩き続けたのだろうか。
疲労も何も感じない。水は絶えず、流れている。一度立ち止まってみても、変わらず聞こえる。どこか遠くへ、いってしまうわけでもない。
ふいに、ここは夢の中でないか、と悟る。疲れも何も感じないのだ。そうに違いない。そう思ってみても、このたしかな実感は何であろう。
空を見上げ、周りを見渡す。
相変わらず、ここがどこだかもわからない。
きっと、夢だ、夢なんだろう。そのうち目を覚ますだろう。それまで、歩いてみよう。
再び、水の流れに耳を澄ませて、そちらへ向かう。足を踏み出す。
何も考える必要もない。感じる必要もない。ただ、それに従って歩けばいいんだ。
いつまで? いつまで? どこまで、行けばいい。
そんなこと、感じなくていい。考えなくていい。
本当に? 本当に? それで、いいのかしら。
水は疑いもなく、迷いもなく、導いてくれている。けれど、それに身を任せすぎることは、自分自身を放棄していることになるのではないか?
そこに不安もない、考える必要もない、けれど。それは、私でなくてもいいのではないかしら。
そんなことを思い、ふと、水の流れとは別の道を歩く。歩いてみる。
水の音は遠ざかり、どこだかもわからない土地に不安も感じる。それなら、こっちはどうか、あっちはどうか。
考える。感じてみる。
こっちはどうか、あっちはどうか。
水の音は消え、代わりに周りから音が聞こえだす。
それを探りながら、道を考えてみる。どこに向かおうか、迷いながら歩んでみる。
それはいつまで続くだろう。わからない。
けれど、いつか目覚めるときまで、考えながら、歩いてみよう。
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。