答えなんてないものを
ほんとうのさいわいとはなんだろう
それは本当に、なんだろう。どんな、ものなのだろう。
たぶん、どんなに時間をかけてもその答えには届かないもの。この世界は、そんな言葉で、溢れている。
言葉の響きに触れるたびに、その深淵の美しさに感嘆し、嘆息する。
答えなんてないものに、悩み、廻り、落ちて、救われる。それは人の常なのかもしれない。
陶酔する必要はないけれど。
どんなに言葉を尽くしてみても、どんなに思考を巡らせてみても、すぐに答えや形の見えないものがあるからこそ、詩が生まれ、歌が生まれ、作品として様々な表現が生まれていく。
けれども、このごろはどうにも、何より速さが求められているようなきらいもある。速さ、早さ。
答えだけ知って満足したり、地道を避けて結論だけをすくいとったり。
しかし、大切なものは、その過程にこそあるのではないだろうか。
仕組みや成り立ち、効果や意味、それを知らずしてさらりと表面を掠めて知った気持ちになる。それほど怖いことはない。
本来、言葉を扱うとは、それほど難しいことなのだろう。
時間をかけてでも、ゆっくりとでも、自分の中に落としこむ作業を、行ってほしい。
咀嚼して、解釈して、思考して、表現をする。
そこまでできて、ようやく自分のものになりうる。
誰かの言葉でも、誰かの答えでもない。
自分の答えを見出して。
それが正しいとか、間違いとか、ではなく。
私はこう思う。
そこまで道を進んできたのなら、自信を持って表現できる。議論ができる。
そこまでの苦労を重ねて得たものなのだから、相手もきっと同じだけ苦労したかもしれないと想像ができ、無闇やたらに批判はしないだろう。それでようやく議論ができる。
答えなんてないものもある。
考える、ことそのものを、楽しむ。
そうして考えて考えて、
表現を、してみる。
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。