見出し画像

【ショートストーリー】『山下って人の事/熱子先輩の話』

あっ、しまった!気付くのが遅すぎた。
どうしよう!まずい事にならなければいいんだけど…

この日、私は職場の頼れる上司、熱子先輩と一緒に会社に向かう為、少し混み合う女性専用車両に乗っていた。

昨夜、私は熱子先輩と自分のアパートの近くの店で遅くまで飲んでいた。
少し遅くなった為、熱子先輩は私の部屋に泊まり、二人揃って出社する事になった。
以前、私は痴漢に身体を触られた事があったので、それ以来、通勤は女性専用車両に乗る事にしていた。

最近、私が乗るその車両に、変な人が乗ってくる様になったのだ。

あの人と熱子先輩を合せるとまずい事になる…

熱子先輩は、普段は後輩思いの頼りがいのある優しい人なのだが、間違っていると思う事があると、男の人でも止められない程、暴れてしまう事があるのだ。
マズい..
その人が乗ってくるJR平井駅に到着するのは、もう直ぐだった。
トラブルを避けるため、私は熱子先輩に提案した。

「先輩!車両、移動しませんか?」
熱子先輩は首を傾げながら答えた。
「ん?なんで?」
なんで、と言われると…どうしよう、本当の事言ってしまった方がいいか。
「あ、あの先輩、次の駅で、ちょっと変わった人が乗ってくるんですよ」
熱子先輩は眉をひそめた
「えっ?何なの、変わった人って」
「えっと、何というか、少し理屈っぽい人っていうか」

説明している間に、電車が平井駅に到着してしまった。
その人は、日によって乗るドアを変えてくる為、どこから乗ってくるか判らないのだ。
私は祈った!
お願いします!私達から離れたドアから乗ってきますように!

そして、電車のドアが開いた。

私の願いは届かなかった。
その人は最寄りのドアから乗車してきてしまった。
ああ、熱子先輩とその人の距離は1メートル。
嫌な予感がする。
熱子先輩はキョトンとした顔でその人を見ながら、小声で私に聞いた。

「ねぇ、奈緒子、何なの?この変なハッピ着たオジサン」
「あの、先輩。余り関わらない方が..」

熱子先輩は少し真剣な顔になって続けた。
「なんか、ハッピに【女性専用車両を廃止させる会】って書いてあるんだけど」
予想した通りの展開になっていってる気がする。
私は、落ち着いてもらおうと、ゆっくり穏やかな口調で返答した。

「はい。確かに書いてありますね。世の中には、色々な主義主張を持った方がいらっしゃいます。だから私達は、その個人個人の意見を尊重して..」

だが、私の試みは通じなかった。

熱子先輩は途中で私の話を聞くのを止めて、そのハッピを着た中年男に声を掛けた。
「あの、すみません。ここ女性専用車両ですよ」

中年男は、ゆっくりと熱子先輩の方を向いて、わざとらしい口調で答えた。
「はい?なんなんですか、その女性専用車両って言うのは?法律で女性しか乗れないって決まってるんでしょうか?」

中年男のネチッこい言葉に対し、熱子先輩は穏やかに返した。
「すみません。法律の事はよく判らないんですけど、痴漢とかを未然に防ぐ為の車両だと思いますよ」
そして熱子先輩は、私を指差して続けた。 
「現に、この子も前に痴漢にあったらしくて。それから、これに乗るようになったんですよ」

ああ、先輩、私の過去を皆さんの前で..

その話を聞いた中年男は、挑むような顔で熱子先輩に詰め寄った。
「なんなのアンタ?私が痴漢だって言いたい訳?!私は女性が優遇されるこの社会にアンチテーゼを投げかけてるんだよ!今の日本は女に甘すぎるんだよ!大体さぁ、このご時世に、女性専用なんて…」

マ、マズイ。目に見える位、熱子先輩の顔色が変わってきている!
私は熱子先輩の腕に、そっと手を置いて語りかけた。
「先輩、まあ、いいんじゃないでしょうか。人それぞれと言う事で…」
熱子先輩は私の手を振り払った!

【【【  パン! 】】】

中年男に、いきなり熱子先輩のビンタが炸裂した!
お、恐れていた事になってしまった..

中年男は涙目になり、頬を手で押さえながら、熱子先輩に向かって叫んだ!

「何しやがるんだ!てめえ!コノヤロー!訴えるぞ!」

火がついてしまった熱子先輩は、中年男に怒鳴り返した。

「なによ!やれるもんならやってみなさいよ!大の男が、こんなつまんない事して恥ずかしくないの!」

中年男は、熱子先輩の迫力に押された様に視線を泳がせながら答えた。

「…よし分かったよ!お前、訴えてやるからな!覚悟しろ!」

熱子先輩は、黙って、ポケットから名刺を取り出して、中年男の顔に押し付けた!
中年男は名刺を乱暴に受け取り、吠えた!
「俺は女性専用車両を廃止させる会、会長【山下 不幸一】だ!覚えとけ!」

熱子先輩も負けずに吠え返した!
「なにが会長よ!本当は、アンタ一人しかいないんでしょう!」

中年男が又、吠え返す! 
「馬鹿野郎!いるよ!仲間が一杯いるんだよ!」

熱子先輩が返す! 
「嘘つけ!アンタ一人だけでしょう!」

「いるんだよ!」
「いないでしょう!」
「いるんだよ!」
「いないでしょう!」
「いるんだよ!」

この後、否定する熱子先輩に対し、中年男が昔のカエルネタ漫才のように「いるんだよ!」と繰り返す、不毛なやり取りが暫く繰り返された。
もう私にはどうする事も出来なかった。

この車両は動く幼稚園と化してしまった。

そして、電車が隣の亀戸駅に着き、中年男は捨て台詞をはいて電車を降りた。

「お前、覚えてろよ!」

熱子先輩は腕組みをして、黙って中年男性を睨みつけている。
中年男、山下は時折、熱子先輩の方を振り返りながら去って行った。
山下が立ち去った後、周りの乗客から、熱子先輩に対して大きな拍手が巻き起こった!
中には、なぜか知らないが、
「感動しました!有難うございます!」
と熱子先輩に握手を求めてくる若い女性もいた。
どこにそんな感動する場面があったのだろうか?
私は恐る恐る、後ろから熱子先輩に声を掛けた。
「せ、先輩、大丈夫ですか?」

振り向いた熱子先輩は、スッキリとした様な笑顔で答えた。

「うん。これは、もう終わり!」

*****

この3日後、山下が本当に会社に乗り込んできて、ちょっとした騒ぎになった。

人一倍責任感の強い熱子先輩は、会社に迷惑をかけた責任を取って、周りが止めるのを聞かずに退社する事になってしまった。

   

【半年後】


今日は、久しぶりに熱子先輩と飲む約束をしている。

約束の店に行くと、熱子先輩はもう来ていた。
先輩は会社を辞めた後、あの一件を撮影していた乗客がサイトにアップした動画が話題となり【世直し系YouTuber】として活躍している。私も動画がアップされるたびに熱子先輩の勇姿を観て元気づけられている。

久しぶりに会った熱子先輩は、何故か元気が無かった。
「先輩、お疲れですか?」
熱子先輩は、少し笑って答えた。
「うーん、疲れてるわけじゃないんだけど…最近なんか、あの山下って人の事が気になっちゃってさ。私もやりすぎだったかなぁと思って」
私は答えた。
「もうあんな人、忘れちゃっていいんじゃないですか?あの人、この前、新宿でティッシュ配りしてましたよ。意外と元気そうでしたけど」

私の言葉を聞いた熱子先輩は、嬉しそうに笑って答えた。

「そうなの?!そうなんだ!そうか、良かった、元気そうだったんだ」


そう。

そうなんだ。

やっぱり、熱子先輩は優しい人なんだ!

【了】

.
監督.脚本/ミックジャギー/出演. 熱子役. 村之町子、奈緒子役. のん子、山下 不幸一役. 山下幸一

サポートされたいなぁ..