【掌編】『ふたたびの彼女』
「これ、スゴい人気のやつだから、後で食べてね」
幼なじみの春野七海が、四畳半の隅にある小型の冷蔵庫を開けて、プリンを2つ入れた。
「え?..ああ、悪いな」
彼女は、親の遺産で慎ましく生きる俺の唯一の理解者だ。何故、俺の事を気に掛けてくれるのかはよく解らない。俺は人の気持ちというものに疎い。
幼い時に、交通事故で両親を亡くして以来、意図的に心を閉ざしている影響だろう。
七海が部屋の隣に視線を移す。
「ねえ、まだお風呂直ってないの?」
狭い部屋で実験の最終段階に入った俺は、小型装置の調整をしながら答える。
「え?ああ...銭湯があるから大丈夫だよ」
「でも、お金がもったいないじゃない」
「...七海、今はそれどころじゃないんだ」
彼女は少し口を尖らせる。
「昔は神童なんて呼ばれてたのに、ずっと引きこもって訳の解らない物ばっかり作ってさ」
その言葉を聞いた俺の口から、思わず強い言葉が飛び出した。
「...俺にとっては大切な事なんだ」
一瞬、七海が息を止めたのが解った。
「あ..すまん。別に怒ったとかじゃないんだ」
俺を見ていた彼女の視線が、玄関に移る。
「...こっちこそ、ごめんね、別に誰かに迷惑掛けてる訳じゃないもんね。じゃあ、私、行くね」
「...悪い」
七海は少し悲しげな顔で頷き、玄関のドアを開けた。
ドアが閉まり、七海が部屋を出たのを確認した俺は、立ち上がり浴室へと移動する。
いよいよだ..
俺が見下ろしている浴槽は、まるで宇宙船の操縦席みたいだ。
まだ10分が限界だろう..
俺は浴槽の中の椅子にゆっくりと腰を掛け、現在から10分前の時間を入力する。
全身が緊張で強張るのが判った。
そして俺は手を伸ばして、大きく深呼吸してから、浴室の壁に取り付けたボタンを押した..
........
.......
.....
....
...
..
身体に、かなりの衝撃を感じた..
だが意識はハッキリしている。
俺は浴室から飛び出し、四畳半の部屋へと移動して、隅にある冷蔵庫を開けた。
消えている!
七海が入れたはずのプリンが無い!
成功だ!
その時、部屋をノックする音がした。
コン、コン..
「..はい!」
ドアが開き、七海が顔を覗かせる。
「え?どうしたの、スゴい嬉しそうなんだけど」
俺は確かめる為に、部屋に入ってきた七海に聞いた。
「プリン買ってきてくれたんだよな!」
七海は驚いた顔を見せた。
「え?何で判ったの?あ、わかった!行列に並んでるの見てたんだ」
「あ..ああ、まあ、そんなところだ」
「じゃあ、声掛けくれりゃいいのに!」
そう言って七海はふてくされた顔をつくる。
「なんか、恥ずかしくてな」
笑いながらそう答えた俺の心は、今まで感じた事のない充足感で満たされていた。
まだ、たった10分しか戻れないけど..
必ず二人に逢いに行くよ。
助けられないとしても、伝えたい事があるんだ。
俺は、七海に声を掛けた。
「七海、いつも有り難う。君のおかげで俺は未来を生きられそうだ」
彼女は、戸惑い照れた様子で答えた。
「え、な、なんなのよ、いきなり..ドッキリ?」
「違うよ。本当に感謝してるんだ」
「..よくわかんないよ..これ、スゴい人気のやつだから、一緒に食べようよ」
七海はうつむいたままそう言って、手に持った袋をこっちに差し出す。
俺は、その差し出された七海の手を、袋ごと強く握った..
【おわり】
サポートされたいなぁ..