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【小説】奥穂高岳に登る 1.桐生 夫の実家にて その1

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「いつきに見せてあげたいんだよね。あの眺めを」

私の夫、安藤俊は夏休み前の少年のように目をキラキラとさせていた。
ベリーショートの髪を茶色に染め、カッコつけてクチヒゲとアゴヒゲを生やしている。着ているものは赤地に派手な模様のアロハシャツに下は短パン。お盆の実家に来る気楽な格好ならいいのだけど、駿はいつもこんな格好をしている。自営業だからといって、いかがなものかと市役所勤めの私は思ってしまう。

「道、結構険しいよ?大丈夫なの?」

俊の二つ上のお姉さん、龍子さん、今では結婚して日笠龍子さんは、眉間にシワを寄せて弟をにらみつけている。
ベージュのブラウスに白のパンツ。そのまま会社に行けそうなパリッとした格好だ。東京の私でも名前を知っているような会社に勤めてるだけあって、自営業者でもあまりまっとうとは言えないほうの弟とは正反対。ちゃんとしてる。
ちなみに私はというと俊の店で売っているゆるいキャラクターが大きくプリントされたTシャツに俊と同じような短パンとラフな格好。日頃ちょくちょく出入りしているとはいえ、これではどっちの実家かわからない。
龍子さんの隣には旦那さんの誠也さんが座っている。俊や私より年下だけど、なんだか落ち着いている感じの人だ。こちらもパリッとしたシャツにスラックスとちゃんとしてる。高校の国語の先生と言っていた。メガネも黒縁。マンガに出てきそうな国語の先生そのままの見た目で、初めて紹介されたとき笑ってしまいそうになってしまった。

「大丈夫でしょ。一般ルートなんだし」

桐生でも山のほうにある俊の実家。お盆棚の飾られた縁側続きの座敷で、姉と弟はにらみあっていた。いや、龍子さんが一方的ににらんでいるだけで、俊のほうは何を言われてもヘラヘラしているだけなんだけど。

ことの起こりは昨日の夜のことだ。
私は俊に夏休みの思い出を話していた。私の両親は夏休みには新潟や茨城の海に連れて行ってくれた。海なし県である群馬の人は海へのあこがれが強いのだ。夏休みといえば海水浴でしょ。
海に行きたい、海に行こう、海に連れてけ、という諸々を匂わせつつ、私は楽しかった海の思い出を語った。
すると俊は「夏といえば山だろう」、と、猛然と反論しはじめた。曰く、山は涼しくていい、登った後の達成感がたまらない。
そして、一通り思いの丈を語り終えると、突然、

「そうだ、オクホに行こう」

と言い出したのだ。
オクホというのが山のことだろうというのはわかったけど、具体的にどこの山か、どんな山かというのは全くわからなかった。
だが思いついたら即行動の俊は、そんな私の戸惑いをよそに、休みはいつとれるかなどと聞きいてくる始末。オクホとやらに(私も一種に)行くことは俊の中では既に決定事項となったようだ。
そして、今日、「装備」があるかどうかを確かめに実家に来て物置をあさっていたところ、ちょうどお盆で帰省していた龍子さんに捕まり、あれこれ問い質されることになったのだった。

「あの、オクホってそんな危ないところなんですか?ていうか、オクホって何ですか?」

龍子さんは信じられないといった顔で弟の方を見る。俊のほうは何でそんな顔をされているのかわからないといった風できょとんとしている。きっとオクホと言えば世の中の人は大抵わかるものだと思っているのだろう。俊にはそういうところがある。

「オクホというのは奥穂高岳のことで、北アルプス、学校では飛騨山脈と習う山域にある山ですよ。長野と岐阜の県境にあって、日本で三番目に高い山です」

誠也さんが解説をしてくれる。先生だけあってわかりやすい。
て、いうか日本で三番目?すごい山じゃないか。

ここにきて私は、自分が結構大変なところに連れていかれそうになっていることを知ったのだった。

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