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自分を信じた100人の男の子の物語
ふふ、驚くなかれ。
読書感想文とは読了後に書くものだが、私レベルになると帯や前書きを読んだだけで想像があっちこっちに膨らみ文が書けるのだ。それはもはや読書感想文と言うよりは、
読書想像文、否、読書妄想文である。
さて、ここで思ったことはだな、
世間の大多数が決めたルールとして、社会からはみ出すなというものがある。
それは犯罪を犯すなというだけでなく、もっと小さな、人と同じように振る舞えだとか、目立ち過ぎるなといった社会の不文律もふくむ。
で、このルールを悪く言う人がいるけど、筆者はこれはこれで正常なんだと思う。
だってね、今まで人類はそうやってルールを敷くことで途方もない大きさの社会を維持、発展してきたんだから。
これがいきなり皆が皆好き勝手に動かれると社会が崩壊するかもしれない。(しないとしても、今まで上手くいってきた先例を壊してまで新たな事に取り組むほどリスク選好型の人は多くない上に、一度ナッシュ均衡に陥ってしまえば、例えそれがパレード効率的でなかろうと実社会は中々動こうとしないのが現状だと、経済学のお偉いさん方が言っていたヨ。)
そういう大きな視点でモノを見ると、何故そうなっているのかについて合点がいく場合が多々ある。
だから、既成の社会ルールに全乗っかりしましょうねと言いたいわけでは勿論ないわけで。
要は、社会はツンデレなのである。
ルールにのっとれと言いながら、より社会を良い方向に変える分にはどんどん変えてくれと。
表面上ダメと言いながら、裏では、「さあ、早くオレを超えていけ」と期待してくれているアツいヤツなのだ。
ガキの頃はそんな社会が憎くて仕方がなかった。でも大人になるとその優しさに胸を打たれるのである。(筆者はちょうどその境界にいる。)
感覚的には、学校のルールの中でいかに悪さをするかに似ている。
学校側としても、ルールが無いとまずいし、生徒側もルールがない無法地帯で悪さをしても箔がつかない。
余談だが、未成年でタバコを吸ったからって本気で怒ってる先生はいるのだろうか?もしいたとしたら何に対して本気で怒ってるのか。自分の首が飛ぶのが怖いからか。単にストレスの捌け口にしてるのか。周りの評価を気にして怒るポーズをとってるのか。うーむ、興味深い。
ちなみに筆者の中学時代には本当にストレスの捌け口として殴りまくっていた先生が実在しており、世の不条理を体験でき良い勉強になった。
社会はそこまで暴力的ではない。社会を良くするならルールを超えていってもいいよ。って言いたいけど立場上言えない。そんな社会の心の声が聞こえてきそうな筆者は、この話を精神科ですると
間違いなくセラピストを紹介されるだろう
思想の自由が保障されている時代に生きていることにとめどなく感謝の涙が溢れてくるぜ…
だから、
社会のことをとやかく言っても仕方がないこと。実は社会のルールにハマんなくてもいいこと。(筆者は社会をより良くする場合にのみ限る自分ルールを設けている)
を世のちびっこにはわかってもらいたいなあ。
おっと、もうこんな時間か、
そろそろカウンセリング受けなきゃ。
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