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『私みたいなやつでも生きていける世の中になってほしいから私は私みたいなやつのままやっていくのだ!!』 より 「はじめに」

2022年9月25日(日)に開催される第十回文学フリマ大阪にて、日記+エッセイ+短歌の本『私みたいなやつでも生きていける世の中になってほしいから私は私みたいなやつのままやっていくのだ!!』を頒布します。

フリーランスとして仕事を始める前後の鬱屈した日々の記録と内省、その空気を反映しつつも斜め上へ弾ける短歌。暗めの内容をポップめに綴った、私が(もしかしたらあなたが)「生きていく」ための本です。イラストと表紙デザインは、イラストレーターのおゆみさん。印刷や紙、製本にもこだわって、物としてもナイスなものになる予定です(まだ入稿していないので、予定です……→9/23、無事刷り上がりました!)。

頒布に先立って、本書より「はじめに」の部分と目次を公開することにしました。これを読んでいただければ、本書の雰囲気がなんとなく掴めるのではないかと思います。読んでみて少しでも気になった方は、ぜひ【J-16】のブースへお越しください!

A5でも正方形でもない微妙なサイズがかわいい!

■はじめに ―はい、わたしの感想です。

2020年2月から、フリーランスのライターとして働きはじめた。2018年にうつ病を発症してフルタイムで働くことが難しくなり、自分のできる時にできる場所でできる分だけ仕事をするためにフリーランスになった。過去に会社でウェブメディアの編集やライティングをやっていたことがあったので、ライターとしてやっていくことにした。

「自由な時間を大切にしたい」と、フリーランスの人やフリーランスになりたい人の多くが言う。もちろん私もそうしたいとは思っているし、実際「仕事も家事もしていない時間」ならたくさんある生活をしている。しかし、その大半はうつのせいで寝込んでいるうちに過ぎてしまうし、仕事をしている時間が少ないぶん収入も低い。もうひとつ、「好きなことを仕事にしたい」というのもよく言われることだが、これも私の実情からは少し距離のある言葉だ。文章を書くのは好きだけれど、私がライターになったのは他にできることがなかったからだ。

そんな、キラキラしたフリーランスのイメージとは程遠い私の仕事と生活と内省を綴ったブログの記事が本書の中心となっている。このブログは、フリーランスになる少し前の2019年12月から2022年4月まで断続的に書いてきたのだが、使っていた「g.o.a.t」というビジュアルブログサービスが2022年5月末でサービス提供を終了したため、ページごとインターネットから消えてしまった。このブログをアーカイブするのが本書の当初の目的である。その他、他誌に寄稿したエッセイ、書き下ろしのエッセイ、メディアプラットフォーム「note」に投稿したエッセイ、短歌の連作が本書に収録されている。これらの言葉たちから、この3年弱の私の、つまり鬱々としたフリーランスのリアルを感じることができるだろう。

・・・

しかし、ここまで書いて、私はいったん立ち止まらざるを得ない。はたしてこの本に収められている言葉たちは本当に、私の「リアル」だろうか?……答えはNOだ。そもそも、「鬱々としたフリーランスのリアル」という言葉自体が、「そういう位置付けにするとこの本が売りやすいかもしれない」という目論見から捻り出されたものなのだから、きっぱりYESと言えるわけがない。(こういうことを白状してしまうのが、私の私たる所以である。筆は滑ってからが本番だ。)

どうあがいても、人の書き残す言葉が表すのはその人の一面でしかない。いや、一面どころか小さな点の集まりにすぎない。さらにその点も、その人の主観で、その人のやり方で打たれた恣意的な産物である。しかも、読み手の受け取り方もまた、恣意的だ。つまり、この本を読んで「鬱々としたフリーランスのリアルを感じることができるだろう」というのは嘘ではないが、この本が「鬱々としたフリーランスのリアル」または「私という人間」そのものであるわけではない。なにをそんな当たり前のことを言っているんだ、と思う人もいるかもしれない。でもこれは、当たり前すぎるからこそなのか、忘れられがちなことでもある。書き手としての私自身、これを忘れて非常に苦しむことがある。だから、なによりも私を守るために、これをここに書いておこうと思った。

・・・

言葉が「そのものをそのまま」伝えることができないからといって、私は言葉の無力さを嘆くつもりはない。むしろ、言葉は言葉でありその人やそのことそのものではないからこそ、力を持つ。言葉を使って、その人がその人のやり方で点を打つことは、(それが慎重に丁寧に、あるいは意志をもって大胆になされる場合、)とんでもなく尊く大事なことだ。その点―書かれた言葉たちは、ひとつの記録として、サンプルとして、詩として、お守りとして、方位磁針として…… 挙げきれないほどのさまざまな意味を持つ。

昨今、それらの重要さが認められることが増えてきた一方で、個人の思考や感情をデータやロジックなどと無理矢理引き比べて貶める流れも一部に確実にある。「自己満」「自意識過剰」「承認欲求の塊」…… さまざまな揶揄が、私が私のことを書くことを阻もうとしてくる。それでも私は書くのをやめない。管理や体制、権力といったものとすこぶる相性の悪い「個人的すぎる言葉たち」を書き続けることは、私なりの抵抗でもある。もし私が何某に「それって、あなたの感想ですよね?」と決め台詞を吐かれたら、ひるまずにこう言い返そう。「はい、わたしの感想です」と。

2022/09/07 新原なりか

綴じ糸もかわいい。表紙側は蛍光レッド、内側は違う色です。

■目次

  • はじめに ―はい、わたしの感想です。 

  • ありがとう g.o.a.t

  • niina’s blog 2019年12月〜2022年4月 奈良の鹿のよさ / 日記 / やっていけるのか、私 / ひとの日記を読んで泣く / ぬるっとフリーランス /たばこと母性 / 明日のごはんを用意する / クリスマスだ、いったん全部忘れよう / クリスマスはつづく / 自意識過剰、それでも / 年末年始、ライブ、インフルエンザ / 私のまま、仕事をしたい / 地獄に日が差す土曜日 /「わたしたちがもちうる “まじめさ” について」/ 筆をすべらせろ / 褒める作戦 / 立ち竦む / クリスマスにゆるされる / サインをしたことがある人生 / クセのない文章 / 花を口実に / たとえばいま『構造と力』を読んでいること / 嫌いなものがつくる輪郭 / 小さい歌集を作っています / my史観プロジェクト

  • 離婚しました

  • noteより 自分のために書くということ / 「人間として当たり前」とは(遅刻魔の言い分) / 本質でないほうで呼ぶ / The World Will Tear Us Apart、夜中にひとりで街を歩かなければならない私たちのための / 本が読めない

  • かつて「妻」だった私へ、そしてryuchellと、わたしたちへ

  • 短歌連作「 Loveless Yellow 」

  • おわりに ―ねことプール


9月25日(日)、天満橋駅すぐのOMMビル、【J-16】ブース(短歌のエリア内)でお待ちしております。当日は、手作りミニ歌集『コスモスクエア』も併せて販売します。
→無事終了しました。お越しくださったみなさんありがとうございました!

第十回文学フリマ大阪終了後の販売(通販や書店での委託販売など)は、現時点では未定です。決まり次第、新原なりかのTwitterでお知らせします。
→この記事のいちばん下に、「販売について」を追記しました。追加などあれば、随時この記事や新原なりかのTwitterでお知らせしていきます。

よろしくおねがいします!

第10回文学フリマ大阪出展用チラシ


■販売について(追記)

<手売り>
第10回文学フリマ大阪 ブース:J-16
 2022年09月25日(日) 11:00〜17:00
 →終了しました。

2022年11月に福岡市で開催されるイベントで手売り販売を行う予定です。詳細決まり次第、お知らせします。 →終了しました。

2023年8月5日(土)、京都・並河で行われるイベント「次の電車がくるまで」のアムアムクラブのスペースにて、手売り販売予定です。

<お取り扱い店舗>
シカク(大阪市・千鳥橋) 
汽水空港(鳥取県・松崎)
古本と新刊scene(熊本市・中央区)
MoMoBooks(大阪市・九条)

シカクさんとsceneさんでは、歌集『コスモスクエア』もあわせてお取り扱いいただいています。この2店舗では、店頭のほかオンラインショップでもご購入いただけます。

■プロフィール

新原なりか(にいはら・なりか)
フリーランスのライター、編集者。仕事とは別に本の自主制作もしています。1991年、鹿児島県生まれ。京都大学総合人間学部卒、香川(豊島)と東京を経て現在は大阪市在住。
Twitter:@kekkaohrai

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