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切れ切れにトランペットが届くからあの人だかりを目指して進め

こんばんは

いよいよホリデイシーズンということで、
都内はどこもかしこも、イルミネーションまっさかりです。

イルミネーションマップを配っているガイドさんもいたりして、インバウンドの観光客ご一家、デートの若者や学生さん、子どもさん連れにワンちゃん仲間の会、国籍も性別も関係性も様々ですが、みなさん一様に楽しそうにそぞろ歩いていて何より。

今日も歩いていたら、観光客の方が山ほど乗っている、クリスマスイルミネーションをめぐるコースがあるスカイバスとすれ違いました。


表参道の樹々もすっかりイルミネーションに飾られていて、キラキラしています。

その光がね、あんまり綺麗でして、ふっと思い出したのが、山の手の大空襲のことだったんだよね

寒色系もいいけど暖色系イルミネーションってやっぱり素敵だよね

表参道の車道を挟んで立つ大きな石灯籠は、足元の石が割れていて、土台が黒ずんでいるのだけれど、
これは1945年5月の太平洋戦争の只中で起きた、山の手の大空襲の傷跡なのだとか。

土台が黒ずんでいるのは、火に巻かれて熱さに苦しんだ人たちが、この石灯籠に群がりしがみついて亡くなって、その人たちの焼かれた脂がそのまま石に浸み込んだから、と言われているそうです。
長いことただの経年劣化だと思っていたな。

このキラキラした光を炎のようだなんて言うつもりは無い。
けれど、少し不思議だ。

この石灯籠越しに見上げた木に灯る光。
もしかしたら同じ構図で、同じ座標軸で、
1945年5月、
炎を見上げた人間もいたのじゃないだろうか、
と思った。

景色はすっかり変わり、溢れる光の趣旨も光源も変わって、石灯籠からは同じ通りがどんな風に見えているのだろう。


ちょうどこの交差点を歩いていたら、ジャズアレンジされたクリスマスソングらしい音が切れ切れに聞こえてきた。

どこから聞こえて来るのかはわからなかった。
風に乗って切れ切れに届く、サックス、トランペット、ドラム。
音のする方角を見ると、海外ブランドのポップアップショップの玄関を飾る大きなクリスマスツリーがあって、たくさんの人が囲んでいる。

その切れ切れの金管楽器の音を聞きながら、
最後の審判に鳴るのもラッパなんだよな、とふと思った。

四四田は特定の宗教に帰依しているわけではないけれど、クリスマス一色の空気の中にいたら、聖書の一節が頭をよぎった。

最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。

コリントの信徒への手紙-第15章52


切れ切れにトランペットが届くからあの人だかりを目指して進め

イルミネーションに群がる人たちを笑う意図は無い。
戦火や空襲を軽んじるつもりもない。
国際政治も宗教も音楽ジャンルの変遷も歴史も、論じるには僕の手にはあまる。

ただ、
2024年12月のクリスマスイルミネーションと、
1945年5月の山の手の大空襲と、
聖書における最後の審判が、
一瞬、全て一本の線の上にあった。

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