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小説:コトリの薬草珈琲店 3-2

 四人は垂仁天皇陵から少し離れた場所にある小さな公園へと移動することにした。陵の近くには落ち着いてコーヒーを淹れることができる場所がなかったためだ。

 移動の途中で、川原君が黄色い果実のなる木を見つけた。「これって・・・」
「そうです。それが橘っすよ」佳奈がキリッとした笑顔で補足する。
「橘って準絶滅危惧種なんですけど、奈良の有志の方々が頑張って育てていて、神社とか、色々な場所にも奉納されたりしていて。そういった努力の結果、私たちも橘の薬草珈琲を楽しめるようになってきたんです。こういう活動を続けるとき、人の想いって本当に大事だなぁと思うんですよね。」橘の仕入れ先の相手の姿や表情を思い浮かべながら、琴音もつぶやく。

 しばらく歩き、ベンチのある小さな公園に辿りつく。琴音はワイルドに公園のベンチにまたがるように座り、薬草珈琲を淹れる準備をはじめた。残る3人はそれを取り囲んでいる。

「みんな、今日は二種類のタチバナ珈琲を楽しんでもらおうと思うんだけど、いいかな?」
「お、楽しみやねぇ」と凛。
「佳奈ちゃん、二人にタチバナ珈琲のこと説明してもらってもいい?」
「コトリさん、急ですね。ですが、いいですよ。・・・ではまず、タチバナ珈琲には四種類くらいの淹れ方があります」
「えっ、そんなに色々な淹れ方があるんだ」川原君が驚いた声を上げる。
「はい。まず、実なんですけど、フレッシュな実を使うやり方と、乾燥させた実を使うやり方があります。柑橘類って表面につぶつぶがあるじゃないですか。そこに精油成分が詰まっているんです。なので、フレッシュな柑橘のアロマを楽しみたいなら、生の果実の皮の部分をコーヒーにブレンドしたらいいんです」
「なるほど」
「橘も柑橘類なんで、たぶん、リモネンやαーピネンというモノテルペン類の精油が含まれていると思うんですけど、それらは嫌いな人がいない製油って言われています。みなさん、ミカンの香りが嫌いな人っていないでしょう?」
「佳奈ちゃんも詳しいなぁ。」凛が賞賛のため息をつく。
「佳奈ちゃん、勉強してるからね。」と、琴音がフォロー。
「ありがとうございます。まだまだですけれど。次は乾燥果実。業務用の乾燥機で数日間かけて乾燥させた橘の果実なんですけど、皮だけを使うものと、実をすべて使うパターンがあるんです。橘皮は・・皮のことですけど、やはりさわやかなアロマを感じられる薬草珈琲となります。たぶん、精油成分もちょっと残ってるんじゃないかなぁ。乾燥しているから、長期間の保存が効く。フレッシュな実は、採れたての時期がベストなんで。まぁ、冷凍すればいいって話もありますが」
佳奈は少しだけ、呼吸を整えた。
「そして、乾燥した果実を全て使うパターンもあります。実も種も皮と一緒に乾燥させるんですけど、それを全て使うパターン。結構、酸味があります。で、最後は葉っぱを使う淹れ方ですね。自然乾燥させた大和橘の葉を使うんですけど、少し青臭い感じになるので、私はあまり好きじゃないかもですね」
「佳奈ちゃん、何でも知ってるなぁ。」と凛が改めて賞賛する。
「何でもは知らないっすけどね。知っていることだけ。」と佳奈。
「ひとつの植物なのに、こんなにたくさんの楽しみ方があるんですね。」川原君も新しいことを知れた喜びに浸っているようだ。
「はい。で、コトリさんは今日、そのうちの二種類をみなさんに試飲してもらおうと思っているんだと思います。」琴音のほうをチラリと見ながら、佳奈はそう締めくくった。
「うん、佳奈ちゃんありがとう。さすが、うちのエース。じゃあ、まずは生の橘皮を使った薬草珈琲を淹れてみましょうか」

 琴音は小さな橘の実を四つ取り出し、皮をむいた。使うのはその皮のほうだ。アウトドア用の折り畳み式のドリッパーをサーバーの上に置き、フィルターをセットしてから、店で挽いてきた色の暗めのコーヒー豆を乗せた。およそ300g。そこにフレッシュな橘皮を細かくちぎりながら乗せていき、最後に一本の割りばし(=マドラー)で橘の皮がコーヒー粉に埋まっていくまでかきまぜた。
「じゃあ、お湯を入れます」
 携帯型電気ケトルを傾け、お湯を注ぐ。その勢いにコーヒーの粉と細かくちぎられた橘皮が踊る。少し休憩して、再び注ぐ。注ぎながら、琴音はドリッパーを揺らし、しっかりと全ての素材がお湯に浸かるように調整した。

「では、どうぞ笑」小さめの紙コップ4つにコーヒーが注がれている。3人はそれを受け取り、香りを楽しみ、そして、コーヒーを口にした。
「おぉ〜、橘やねぇ」凛は目を閉じてアロマに身をゆだねているようだ。
「爽やかなコーヒーだなぁ」と、川原君も満足げだ。「薬草珈琲って可能性あるなぁ」
「でしょ」佳奈もそれに重ねる。
「ちなみに、橘は何に効くんですか?」川原君は佳奈に尋ねる。
「ノビレチンやタンゲレチンっていう成分が含まれているんですけど、強い抗酸化作用があって、つまり、体の錆を防いでくれるんです。老化防止だったり、女の人には美肌だったりが期待できます。また、中医学的には・・・漢方的には、良い香りのものなので、気の巡りを助けてくれると思います。なんか体が停滞しているなぁ、気分も沈むなぁという時には良いと思います」
「へぇ〜。なるほど〜」川原君は残りの一口も飲み干した。

「は〜い、みなさん。次は、乾燥した橘の果実をまるごと使った薬草珈琲を淹れますよ〜。果実に酸味があるので、コーヒー豆も少し酸味のあるものをペアリングしてみました」
「フードペアリングね。」凛が納得したようにうなづく。

「屋外ではミルを使えないので、お店で挽いてきました。でもまだ、香りも大丈夫だと思います」
 琴音はもう一つの袋からコーヒーと橘が粉砕され混ざりあった粉を取り出し、新しいペーパーフィルターの中にセットした。そしてまた、携帯型電気ケトルでお湯を注いでいく。やがて、コーヒーが注がれた小さなコップが四つ、準備された。

「確かにこれは酸っぱいですね。」川原君は味の違いに驚いているようだ。
「はは、これは酸っぱいのが苦手な人には無理かもしれんな。」凛も楽しそうに感想を述べている。
 佳奈は香りをかいだり、コーヒーを口に含ませたりして、味覚のチェックをしているようだ。

「は〜い、では、復習タイムですよ〜」という琴音の呼びかけに、3人は何?と注目する。「みなさんに生の橘の果実と乾燥した果実を一つずつ、お渡しします。それぞれの部位の香りや味を確かめて、さっき飲んだコーヒーの香りや味と結び付けておいてください。全て食べれるので、最後は食べちゃってくださいね。」そう言いながら、一人ずつに橘の果実をハイドウゾと渡していく。

 橘の皮をめくってみたり、かじってみたり、香りを嗅いでみたり、じっと見つめてみたり、それぞれが思い思いのやり方で、橘を楽しみ、橘を学んだ。

「いやぁ〜、でもこんないい天気で、不老不死の橘を使った薬草珈琲を飲んでるって、すごい贅沢やなぁ。」橘を楽しみ切った凛は、体をおもいっきり伸ばし、つぶやいた。「こりゃ健康になるわ~」
「凛ちゃんが喜んでくれて良かった。」琴音も明るい笑顔を見せる。

 しばらくして琴音が片づけを始めた。すると、川原君が近づいてくる。
「琴音さん、片付け、ご一緒させてください」
「あ、嬉しい。ありがとうございます。でも、そんなにすることないですよ」
「うん、琴音さんとおしゃべりする口実です笑。今日は素敵な会に参加させてもらって、たくさん新しいことを知れました」
「そう言っていただけると嬉しいです笑」
「変な質問かもしれませんが、今日って琴音さんがガイド役で、三人がツアーを楽しませてもらったようにもとれるじゃないですか」
「え?・・・でも、そういう風にとろうと思えばとれるかもしれませんね」
「ちょっと強引ですけど笑。そんな場を琴音さん自身はどう楽しんだのかなって思って」
「そうですね。私にとっても、こういったおもてなしは楽しいんで・・」と言いかけて、琴音は言葉を詰まらせた。本当の本当に、心から自分も楽しんでいたと言えるのかな?そこにかすかな疑問が生じたからだ。

「・・・以前、店で打合せをしながらお話したかもしれませんが、母が亡くなってから、薬草を広めなくてはという使命に駆られて生きるように生まれ変わったんです」
「はい。そのことは以前、お聞きしました」
「うん。それ以来、薬草に関わることを人に伝えることが身体に沁みついて。それはそれで良いことだと自分でも思ってるんですけど、時々、何も考えずに、口から言葉が自動的に飛び出していることがあるんです。お客さんはなるほど~って喜んでくれるんですけど、心のこもっていない、淡泊な説明をする自分が嫌だなぁって感じることもあって・・・もしかして、今日もそんな瞬間、ありました?」
「いえ、大丈夫ですよ。琴音さんも楽しそうにお話されていたと思います」
「よかった・・・。えっと、何の質問でしたっけ?」おおよそ片付けの終わった琴音は、話を整理しようと質問を返す。
「いえ、僕が感じたのは、琴音さん、少し身体に無理をさせてないかなって思って。使命に生きるのは素敵だと思うんですが、休むことも必要かなって思ったりして。いや違うか、身体にちょっと無理をさせてでも他の人を楽しませようとする人なのかなって感じたのかも」
「すごい・・・その通りかも。確かに、疲れていても言葉が自動的に飛び出していくのって、根底には伝えたいという気持ちがあるからかも。・・・川原さん、人の分析をするのが得意なんですか?」
「職業柄・・・、デザイナーって人の話を聞くところからスタートするんです。その後で、その人が幸せになれるデザインを一緒に考えて行くんです。なので、琴音さんの他の人を楽しませたり幸せにしようとする姿勢ってすごく共感できるというか」
「なるほどです。確かに、お店のロゴをデザインしていただいた時なども、私の考えや気持ちをたくさん聞いてデザインしてくれましたもんね。」琴音は過去の川原君との打合せの様子を思い出して、色々とシックリきた。「自分というよりも誰かのために生きるっていうのは川原さんと共通しているかもしれませんね笑」

 ちょうど話の切れたタイミングで、「そろそろ帰ろっか〜」と凛が三人に号令をかける。川原君はもう少し琴音と話をしたい表情を一瞬見せたが、すぐに笑顔に戻り、全体の流れに従った。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「コトリは今からどうすんの?」駅に向かいながら、凛が琴音に声をかける。
「西大寺駅でちょっと色々と見ておこうと思って」
「ふうん、じゃあ、私も一緒に行っていい?」
「もちろん。一緒に行きますか」

 大和西大寺駅は近畿日本鉄道のハブ駅で、大阪と奈良を結ぶ奈良線と、京都へ向かう京都線、南の橿原神宮まで向かう橿原線を乗り換える人がよく利用している。百貨店を含む商業施設が隣接していて、琴音と凛はそこへ今から向かうわけだ。

 尼辻駅で電車に乗ってから数分で大和西大寺駅に到着。川原君は家で休む、佳奈は家族と食事、琴音と凛は西大寺駅に用があるということで、本日のお散歩会はそこでお開きとなった。

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