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心理の本を読むことでうつ病から回復した話④(浪人生編中編)

読んでくださってありがとうございます。
機能不全家族のもとで育ち、精神疾患(うつ病など)で苦しみ、そこから回復した自分の半生を書きたいと思います。
浪人生中編になります。
前回の話はこちら

感情の嵐…親への怒りが止まらない

自分が起こした暴力行為によって、図らずも親元から離れる生活を送れるようになった自分。これで少しは楽になったと思いきや、そうはなりませんでした。
むしろ逆で、今まで抑圧してきた親への怒りの感情があふれ出てきて、感情の嵐が止まらない状態になっていました。

「親が死んだらお墓にペンキをかけてやる、いつになったら親は死んでくれるんだろう、その前に自分が死んだ方が早いか。」親を殺すか自殺するか。そんなことを考える日々でした。

自分はこの頃、親への怒りを出すことが回復の唯一の方法だと思っていました。

こうなったのは親の責任、自分は悪くない

自分は、毎日死にたい思いを抱え、不幸のどん底にいた気分でした。

でも、この時はまだ自分のことを自分でどうにかしようとは思っていませんでした。こうなった責任は自分にはなく、親にあると思っていたからです。

少し時系列が前後しますが、大学生1年生の時に書いた日記があるので引用します。

〜略。自分には不幸で居続けなきゃいけない理由があるってことだ。

まず、自分が不幸である元凶ははっきり言って自分には無い。そこで周りの人と同じようにのうのうと何も無かったかのようには振る舞えない。
自分が不幸で居続けなきゃ、そのことを恨む権利は無くなってしまうと感じる。

それと不幸で居続けることには変化が無くて楽だということもある。今まで変化がある度に嫌なことを受けてきた自分は変化が怖い。しかも変化には物凄く労力を費やす。

そこまでしてようやくマイナスが0になる。ここまでの労力を誰のせいにもせず頑張るのは実際不条理だと感じる。他人から受けた仕打ちだから自分は動きたくないってのが本心かも。

自分で何かしようと思っても環境が整ってないのも挫折要因になる。どれだけ自分の認知を変えても周りが変化なしだと以前の考えに戻ってしまう。
mixi 自分の日記から

自分はまだこの時、親に変わってもらうことを期待し、自分で何か努力することは嫌だったのです。

変えられるもの、変えられないもの

アダルトチルドレンの本はどれも同じようなことばかりで、親を恨むことを助長する本ばかりでした。しかし、この本に出会ったことで、自分の人生を自分で変えていく決心をします。

この本の前編の『アダルト・チャイルドが自分と向き合う本』は正直他の本と似たりよったりなのですが、この本は少し違いました。

変えられるもの・変えられないもの
他人を変えることはできない。変えられるのは自分自身。

変えられないものを変えようとして苦しんでこなかったか?
変えられるものを変えずに諦めてこなかったか?

変えられないものを受け入れる落ち着きを。
変えられるものは変えていく勇気を。
そして二つのものを見極める賢さを。
「アダルト・チャイルドが人生を変えていく本」から引用

自分は変えられないものを変えようと必死でした。親に対して怒り、過去の罪を告発し、間違いを認めさせ、親を変えようとしてました。もし親に謝られても、自分の苦しみが無くなることはないにも関わらず。

怒りは自分を取り戻すきっかけにはなります。しかし、そこにはまると『毒を飲んで相手が死んでくれることを願う』ようなもの。親への怒りは結果として、自分を苦しめていることに気付きます。

「境界線」をつくる
私とあなたは別の人間。別の感情、別の身体。別の人生がある。
そしてどちらも、かけがえのない価値がある。

境界がきちんとしていると、自分は安全で心地良いと感じる。
自分を大切にしていること、周囲の人が尊重してくれることを感じる。

境界が混乱していると、自分が不快な思いをしていることに気付かないだけでなく、他人の境界を侵していることにも気づきにくい。
「境界線」は自由に変えられるもので、線引きのペンは自分の手にある。
「アダルト・チャイルドが人生を変えていく本」から引用

自分が嫌なことをされてもそれを「嫌だ、不快だ、やめてほしい」と断れる環境にいなかったため、自分の安全な場所は度々侵されていました。

また、父親は機嫌が悪いと「お前が~~だから」と自分に機嫌が悪いことを押し付けてました。こういった環境から学んだルールは知らず知らずのうちに、家庭外でも対人関係において適用されていることに気付き始めます。

この境界線についての考えは自分にとって非常に衝撃的でした。

他人がつまらなそうにしていると、「自分がいるから面白くないんだ」と罪悪感を感じることが多くありました。これは相手との境界がうまくできておらず、相手の感情について、自分で責任を取ろうと思っていたのでした。

自分は「ノー」ということが出来ませんでした。その性格もあってか、自分の友人関係を振り返ってみると、自分を都合のいい奴と見下し、自分を蔑ろにする人とよく仲良くしていたことにも気づき始めます。

また、自分と心理的距離が近い人に対しては、相手の心地良い環境よりも踏み込んだ要求を望んでいることに気づきます。(自分なら我慢できちゃうから)

他人に優しくしようと思っていた自分は、この自分の傾向に気付き、他人に優しくできるようになる為にはまず自分を大事にしようと思い始めます。

「境界線」をうまく引けるようになる為に、まずは自分の境界に入られて嫌だと感じるネガティブな感情を大事にするようになります。

そして、相手と自分を尊重するコミュニケーション方法「アサーション」という考えがあることを知り、本で学び実践するようになります。

少しずつ、自分を変えていこうと努力をしていきました。

虐待の恐ろしさに気付く…世代間連鎖

児童虐待系の本を読んでいると、虐待は世代間で連鎖することを知ります。
西澤哲氏の『子どものトラウマ』を読み、父親は自分を虐待しようと思って虐待しているわけではないということに気付きました。

「完璧な親」を求める心理
完璧性への欲求の背景に自己肯定感の低さがある。

虐待傾向の親たちをみていると親自身の自己肯定感が低いことに気付くことがある。親子関係等に問題を抱え、自分という存在を肯定できていないことが多い。

ある意味では「最後のチャンス」として「完璧な親」になろうとしているのではないだろうか。
「子どものトラウマ」から引用
コントロール欲求
完璧性を求める親たちはどのような時に暴力をふるってしまうのだろうか。

親たちが多く口にするのは「何度口で言ってもわからないから」という言葉である。
「子どもがいうことを聞かないと、何かとってもみじめな気持ちになりました。自分は子どもにすら言うことを聞かせられない駄目な親だと感じてたと思います。」

子どもがいうことを聞かないことは親の自己評価を脅かす脅威になる。自己評価を回復する為にこどもの行動をコントロールする。
「子どものトラウマ」から引用
虐待は虐待を生む
ある研究によると、虐待傾向を持つ親のうち、幼い頃に虐待された経験を持つ割合は30~50%程度だと考えられる。

「自分は親から暴力を受けて育ってきた。
その時はとても辛かったし、悲しかった。でも何とか成長できた。親が自分に暴力をふるったのは『躾』のためだった。そう信じたい。

そう信じないと自分の人生に納得がいかない。親は私のことを叩いたけれど、愛していなかったわけじゃない、そう信じたい。私の為を思って、『躾』の為に暴力を使っていたのだ。

子どもを愛し、子どもを思っているなら力でしつけるのは当然だ。だから私も自分の子どものしつけの為に力を使う。私が子どもに暴力をふるうのは子どもを愛しているからだ。

私の親が私に暴力をふるったのが私を愛していたためだったように。」
「子どものトラウマ」から引用

自分の父親は、幼い時に実の母を交通事故で亡くしています。交通事故で母親を無くしてからは兄弟別々の家庭で育ちました。父親は実父(祖父)と継母(祖母)には家庭内暴力を受けて育ち、物凄く貧乏だったようです。

父親は反骨精神で、死に物狂いで勉強し、この貧乏な生活から抜け出して自立してやると必死だったそうです。祖母には大学なんていかず、自衛隊に行けと言われて育ちます。

しかし、自衛隊に行くのが嫌だった父親は、推薦で某有名私立大学に行き、奨学金で大学に行きました。奨学金は成績優秀者で返金はしなかったそうです。そして、日本中誰でも名前を知っているような大企業に就職したのでした。

小さい頃から極貧生活で苦しみましたが、そこを自ら努力することで、父親は虐待的な家庭を生き抜いてきたのでした。父親は物事を完璧にこなし努力することで、どうにか自分を保ってきた人間だったのです。

過去、父親自身が苦しかった経験から、世の中の不条理さを乗り切れるよう、その父親の生き方を自分に押し付けているのでした。だから、父親は自分に対してとても教育熱心であり、経済的な面で家庭を苦しめること、お金を惜しむことはしなかったのです。

自分はここで初めて虐待の恐ろしさを知ります。虐待を受けた傷を癒さないと、ありのままの自分を受け入れることが出来ないと、無意識のうちに虐待の連鎖に巻き込まれてしまうのです。

そして、母親に包丁を向けたこともある自分は、自分の持つ暴力性を薄々感じていたのでした。自分は自分の代で、世代間連鎖を食い止めることを決心します。

凍り付いた体験(トラウマ)を掘り起こす

アダルトチルドレンの本の中で、回復の方法によく出てくるのが「グリーフ(悲嘆)ワーク」です。「インナーチャイルド(過去の自分)を癒す」といったイメージワークで行うこともあります。

自分は数々の児童虐待系の本を読んでいましたが、その時は自分の感情があまり働かないように自分の経験とは少し切り離した形で読んでいました。

「皆大変な思いをしているんだなあ。自分もここまで酷い虐待を受けていたら、誰かに救ってもらえたかなあ。」そんなことは思うののの、本の内容と照らし合わせて過去を思い出すことは意図的に行っていませんでした。

本能的に避けていたという方が正しいかもしれません。

しかし、自分は虐待の連鎖に気付きました。世代間連鎖を打ち切り、幸せな家庭を築くという夢を実現する為、凍り付いた体験(トラウマ)に向き合うことを自分は決心します。

凍り付いた体験をどう癒すか
トラウマとは瞬間冷凍された体験である。
冷凍されているがゆえに、過去のものとすることが出来ず、いつまでも「新鮮」なままでその体験を抱えることになる。

いわば「現在に生き続ける過去」として、その人の様々な心理的な機能に影響を与え続けているのである。

トラウマを癒すということはその凍りついた体験を解凍し、従来の認知的枠組みの中に消化吸収していくことだと考えられる。消化吸収のプロセスは3つのRで表すことが出来る。

Reexperience(再体験)、Release(解放)、Reintegration(再統合)である。
「子どものトラウマ」から引用

自分は今でこそ過去のことを振り返って書けていますが、この当時、過去の記憶はもやがかかったような状態でした。その事実があったことを薄っすら覚えているものの、うまく思い出すことが出来ませんでした。

くさいものに蓋をするように抑圧してたのです。自分は意を決して、その蓋をあけ、小学生だった頃の過去を思い出すことに取り組みます。

しかし、この試みは失敗しました。そう、フラッシュバックが起きたのです。

タイムスリップしたかの如く、その場にいるかのようにその時の記憶を思い出しました。自分は冷や汗が止まらず、嘔吐しました。

あまりの恐怖で思い出すことをやめました。

そして、この出来事がきっかけになったのかはわかりませんが、自分はこの後、うつ病を発症することになります。

今回はここまでとなります。次回は、浪人生後編に続きます。長い文章を読んでいただきありがとうございました。

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