教育改革②(高大接続計画)

こんにちは。今日の神奈川は雨模様です。
特に地震のあった関西地方では激しい雨になるようです、気をつけて下さい。

昨日はW杯にて、日本の初戦VSコロンビアでした。「大迫ハンパないって!」と、誰もが思ったことでしょう。ラッキーな退場が超序盤にあったこと、ハメスが本調子でなかったことなど、運の要素もあったかもしれませんが、何はともあれ自国の勝利は嬉しいですね。
ポーランドVSセネガル戦はセネガルの勝利。セネガルは縦のスピードがとにかく早い。ポーランドもここで負けたことによって、更にギアを上げてくるのではないでしょうか…。
開催国ロシアは、エジプト相手に勝利。個人的にはサラーのゴールも見たかったですが、PKによる得点のみでした。次の試合に期待。
ちなみに、私は全スポーツの中でサッカーが一番苦手です。

さて、昨日は2020年の教育改革、とりわけ大学受験改革(中高接続計画)について簡単に触れました。今日は、その経緯と求められている力について補足していきます。

まず、2020年教育改革の意図ですが、私は大きく2つの要素があると捉えました。それは、「グローバル化に適応できる人材の育成」と「AIの発展による時代の変化に適応できる人材の育成」です。
「グローバル化」の定義は様々あるかもしれませんが、ここでは日本国内だけにとどまらず、世界で活躍できる人材の育成、と言い換えてもいいかもしれません。

では、この「グローバル化に適応できる人材の育成」のための手段は何か。国が考えたのは、やはり「英語教育の充実」です。今までは「読む、書く」の2技能に特化していた日本の英語教育を、コミュニケーションの充実を図った「読む、書く、話す、聞く」の4技能へとシフトしていこう、という考えです。
ここまでは、ある程度ご存知の方も多いでしょう。具体的には、現在の小学校5-6年生で取り組んでいる英語にふれあう機会を3-4年の間に与え、5-6年では、教科化(通知表に成績がつく)していこう、という話です。ここで、現在の中学1-2年生程度の英語については取り組んでしまおう、ということのようです。
あとは、それぞれ前倒しで英語教育が進んでいくわけです。この英語教育の強化については、専門家の目にも「かなり力を入れているのだな」と映るようで、これから更に取り組みは加速していくでしょう。

続いて、「AIの発展による時代の変化に適応できる人材の育成」についてです。先の英語教育の強化よりも、こちらの方が抽象的で、わかりにくいような気がします。

AIなどのテクノロジーの急激な発展により、とても便利な世の中になってきているような気がする…一方で、「今ある仕事の半分はAIにとってかわる」とも言われています。失業する人間が増えるのではないか、と。
すごく悲観的な言い方ですが、結局のところは「便利になる」ってことだと思うんですよ。「これ、本当に人間がやる必要ある?」という仕事だって中にはあるはずですよね。それはAIに任せましょうよ、って話なんですよ。

「テクノベート・シンキング」という考え方があります。これは「人間がやるべきものは人間がやり、AIがやるべきものはAIがやる」という考え方です。
少し難しい話になりますが、AI含めコンピュータなどは、人間の手によって組まれた「プログラム」によって動きます。この「プログラムを組むこと(プログラミング)」は人間がやることで、更には「なぜこうしたプログラムを組むのか」といった枠組み(アルゴリズム)を作るのも人間です。
AIは、人間の思考によって生み出された指示に従い動くのです。どのようなアルゴリズムを組むのか、それに対してどのようにAIを動かしたくて、どのようにプログラミングを組むのか…この力を育成しよう、というのです。
更には、この思考力ではなく、データやAIの演算結果を基に「善し悪し」の判断をする力、他者とコミュニケーションをとる力、総合して「思考力、判断力、表現力」を高めていこう、というのが国の考えです。

最近、この「思考力、判断力、表現力」という言葉はよく耳にするかもしれませんが、実はこの力を育成していこう、という話はずっと前からあったんです。少なくとも、自分が大学で卒業論文を書くとき(大学3年生のころ、2013年くらいかな?)には散々言われてましたし、学校教育の現場の方々は、この能力を育成するような授業の構築を意識していたはずなのです。私の卒業論文のテーマも「言語活動を通じた、数学的思考力・判断力・表現力の育成」でしたから。

よって、本来受験においてもこの力が試されるべき…だったものが、一部の大学の受験を除いてできていなかった、という話ですね。そこに危機を感じた国が、昨日の記事の内容であるように、まずはセンター試験を改良し、個別の学力試験についてもちゃんと多面的に能力を見ろよ?という話にしたわけです…。

つまり、受験改革は行われますが、英語以外の部分において「今までと求められている力は全く変わらない」ということが言えるのです。ただ、問われる形が、本来あるべき姿になるわけですから…。
これにより、今までは通用した「受験のための勉強」が通用しなくなるわけですね。本質的な学力の向上が、結果として志望する大学への合格につながっていくわけです。私の恩師(大学受験時代の塾の先生)は、この本質的な学力を非常に重視した先生で、私の指導観に大きな影響を与えています。

受験とは戦略です。しかし、戦略に溺れ、本質を見失うと、結果失敗するという受験になっていくわけですね。

本質の学力向上については、ただいま執筆中ですので、しばしお待ちください。

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