見出し画像

ノートルダム大聖堂火災に思う事と、劇団四季「ノートルダムの鐘」の感想。

トキです。15日発生した、フランス、ノートルダム大聖堂での大規模火災。ディズニー版と劇団四季版の『ノートルダムの鐘』が大好きなので大変ショックでした。
火災を受けて今思う事と、昨年初めて観劇した劇団四季『ノートルダムの鐘』の感想です。
同じように『ノートルダムの鐘』が好きな方も、そうでない方も良かったら読んでいってください。

 

 

ノートルダム大聖堂が燃えてしまった。

 

ニュース映像で見る、燃え盛る大聖堂の姿は凄惨で、胸が締め付けられるようだった。
その姿を見ながら捧げられた哀しきパリ市民の歌声も。

 

僕がまだ小さかった頃、ディズニーから『ノートルダムの鐘』のVHSが発売された。
発売とおそらく同時に買い与えられた僕は、何度も何度もテープが擦り切れそうになるまで観返した。
劇中歌の『僕の願い』も何度も何度も歌った。
小学校に入るまで、保育園や幼稚園のない日は田舎の山の中で、友人宅も遠く、昼間は曽祖父と二人きりで家の中で絵を書いていた。
カジモドに、ひとりっ子で友達も少ない僕は少なからず自分を重ねていた。
だからディズニー作品の中でトップ3に入る位、この作品は大好きだった。

そして、
「いつかこの目で、カジモドやエスメラルダが見た大聖堂を見てみたい」
そう思っていました。

修復には20年は掛かるとの情報も目にしました。

見に行っとくんだったなぁ…

 

日本で言うと、清水寺とか東大寺が火事で焼失してしまう感じだろうか。
パリ、フランスに住む人たち、出身の人たちもさぞ辛いでしょう。街のシンボルがなくなってしまう、しかも協会なんて心の拠り所にしている方もいただろうと想像すると、なんと言っていいかわからない。

  

ノートルダムの鐘ファンとして、微力ながら募金くらいはしたい。
詐欺もあると聞くので、大使館とか、せめて劇団四季やディズニーで募金をしてほしい。

 

ノートルダムの鐘はディズニー版は勿論だけど、劇団四季も好きです。
サントラも購入してよく聴いています。

 

下記にて昨年夏に劇団四季「ノートルダムの鐘」を観劇した際の感想を。
観劇した際に書いたものですが、特に当時は公開していなかったのでこちらに残しておきます。

 

 

࿇ ══━━━━✥◈✥━━━━══ ࿇

劇団四季の「ノートルダムの鐘」観劇してきました。小さい頃VHSで買ってもらって、アラジン、ヘラクレスと並んで大好きだったノートルダム。

感想めっちゃ長いです。
写真は観劇後、大感動しつつ会場外の壁の大きなポスターで鐘つき風に撮ってきたやつ。

ノートルダムの鐘観劇メモ
8/26 KAAT マチネ
小林賢太郎「うるう」再演ぶりのKAAT。
前夜にディズニー版ノートルダムの鐘を復習を兼ねて鑑賞してからの観劇。

すごく良かった…!!!!
ディズニー版ノートルダムでアラン・メンケンが手がけた楽曲の良さをそのままに、やや原作寄りに演出が施されていた。

分厚い、重厚なコーラスで歌い上げるテーマソングと、

「人間と怪物、何が違うのか?」

そんな問いかけで始まる今作。

カジモド役の俳優は人間として颯爽と登場し、観客の前で「怪物(カジモド)」の衣装と人格を身に纏う。
カジモドの心は人間である、という前提を感じさせる演出だった。
演出の多くはディズニー版よりもかなり生々しく、人間ドラマとしてノートルダムの住人たちを構築していく。

特に顕著だったと感じたのはフロロー。
ディズニー版では自らの心の、間違った正義を振りかざし最期には神による裁きを受ける、というやや勧善懲悪的な存在だ。
劇団四季版では、ディズニー版で神の怒りに恐れをなしたという抽象的にしか描かれなかった、彼がカジモドを引き取り育てた明確な理由がかなり具体的に提示されていた。
四季版の彼の考え方の根底には、性悪説があると考える。
だからこそ教えに忠実に清く正しく美しく生きることが、彼にとっての正義であると同時に、孤独の種だったのだと思う。
正しくあることは正義ではないし、正義が正しいと限らない。
フロローの思う正義を貫く程、彼はどこか孤独だった。
カジモドの事も、彼なりに愛していたのだと思う。
「赦しの為に正しくある」のではなく、「自分の行いを正しいと思えること」が、彼にとっての「赦し」だったんだろう。

ディズニー版と四季版でのカジモドと石像たちの関係もまた違っていた。
ディズニー版では本当に友人として。キャラクターとしてカジモドと同率の存在。
(ディズニー映画は小鳥は歌うし花は喋るから。)
四季版では、カジモドのイマジナリーフレンド等の、彼の心が幼少から自分の心を守るために作り上げてしまった隣人のような存在に感じた。
自分の心が作り上げた、守ってくれていた存在を打ち消し、乗り越えたからこそ彼はエスメラルダの為に本当の意味で行動する事が出来たんだと思う。

恋心と、恋心を越えた愛、その愛した人の死とをいっぺんに経験したカジモドがフロローに放った、「ご主人様、言いましたよね。僕は強いって。」に込められた複雑な想いは計り知れない。
個人的にこの台詞が石像達の「(カジモドは)もっと強いと思っていたよ」とかかっているのがとても好き。
フロローが言った強さは肉体の強さで、石像とカジモドが言ったのは心の強さと意味が異なるのも良い。
「もっと強いと思っていたよ。」のシーンのくだりで、石像たち(アンサンブル)が1人、また1人とローブを脱ぎ、セットの壁や椅子にかけていくのだけれど、俳優たちがローブをかける度に本当に石像になっていく様に見えて。
もちろん掃けていく俳優たちは見えるのだけど、そこに居ないとしっかり感じられた演出で「さすが四季だなぁ」とひとしきり感心した。

フロローが弟を「愛していた」と話すのも、辛いなぁ。
愛して、何よりも守りたかった弟の息子に突き落とされながら、何を想っただろう。
フロローは学ばずとも主の教えを体現するエスメラルダに惹かれ、そのエスメラルダから彼が一番避けていた「穢れ」の心を持っていると突き付けられたことで、プライドを傷付けられ暴走してしまった。
上で書いた、フロローの「赦し」が「自分を正しいと思えること」だったから、否定されればされる程、赦しを求めて間違いを重ねてしまった。
邪悪な心に支配されてしまった罰が、愛した弟の子、カジモドによる裁きなのかもしれない。
弟もまた、兄を愛していただろう。
単なる遊び好きではなく、堅苦しく生きる兄に息抜きをさせたかった、そんな想いがあったのかもしれない。
弟は弟なりに、兄に心の赦しを与えたかったように思う。しかしフロローはそれに気付くことが出来なかった。

設定が1482年フランス、パリ。
スペインでは1490年代初頭まで続くレコンキスタの最中で、宗教が争いを伴う力を持った時代。
(この辺の時代背景もっと予習しとくべきだった…)
兎角教会が力を持った時代。
フロローが教会の最高責任者として、権力の刃を振りかざせたのはそんな背景もあるんだなと解釈。

ディズニー版で実は一番好きなのがクロパン。
この日の俳優さんがプロモーションで、歌っていた俳優さんでラッキー。
クロパンたちジプシーも盗みを働くこともあるから一概には被害者と言えないんだよね。
ディズニー版以上に、本当の悪がいないなと感じた。
にしてもクロパンは格好いい悪党だ。
ディズニー版の奇跡の法廷(四季版の奇跡御殿)はフランスの地下墓地、カタコンベにある。
ドクロが敷き詰められた壁の中から怪しく現れるクロパンも見たかった。
ココだけちょっと残念。

結末はディズニー版とは違ってバッドエンドで、ここも原作寄りなんだなと。
最後の曲で
「もうすぐこの物語も終わるけど」
「あなたの心に何か残ったら」
というくだりでは、涙が止まらなくなった。
その時にカジモド役の俳優がカジモドという衣を脱ぎ、人間であった他の俳優たちが怪物を表す顔の痣を纏っていく様子がもう…
冒頭のカジモドも人間だということに加え、誰もが怪物になる可能性や心に怪物(邪悪さ)を持ち合わせていると示唆するような表現に心打たれた。

冒頭の「怪物と人と何が違うのか」に対する問を最後にもう一度観客に問うところ、その答えを歌詞や台詞でなく、視覚的に伝える演出が良い。
気付いたらこの最後の曲でマスカラ全落ちした。
久々に観劇で大号泣だった。
ぜひまた観たい。

 

 

࿇ ══━━━━✥◈✥━━━━══ ࿇

 

 

キリエ・エレイソン

一日でも早い復興、
パリの人々の心から哀しみが去りますように。

 

 

ご清聴ありがとうございました。

 

 ✎__________
記事に共感、気に入っていただけたら
「スキ」お願いします。
「スキ」はnote未登録の方も押せます。
__________

この記事が参加している募集

#コンテンツ会議

30,756件

₍ᐢꙬᐢ₎サポートいただけたらめちゃくちゃモチベーションが上がります! 良ければ一緒になにか面白いこととか出来たらうれしいです。