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君よ、君であれ。 #聞いてよ20歳

20歳、丁度10年前の僕と、これから話すことの境遇に近いこのくらいの世代の方々へ。

僕は体の性は女性だけれど、心の性は定めていない。一番近い表現だとXジェンダーです。でもそれをそうだと自分で決められたのは9年前。21歳の時。
だからこの記事を捧げる20歳の僕は、まだ心の性を女性か男性かどちらかにしなきゃいけないと思っている。

 

まだ「LGBT」なんて言葉も無かった頃。中1の終わりに僕はある女の子とお付き合いを始める。同性愛は隠さなきゃいけない風潮は強くて。

苦しかった。おそらく自分の心は女性ではないと、小さいころからそれだけは感じていた。
けれど僕は男の子にもなれなかった。
中性という言葉は知っていたけれど、それを選ぶことはなんだか少数派の中でも少数派なように思えて、それを選ぶ勇気もなくて。
高校を卒業する時には「ああ、私はついに少女でもいられなくなった」と、いよいよどちらかにならなければと思っていて。

そこで僕は女性の道を歩もうとした。小さいころからスカートを穿くことが嫌で、学校やバイトの制服以外でスカートは絶対に履かなかったのに、穿いてみるようになる。
そして大切だったはずの女性と歩む道を諦めて男性と付き合い始めた。

それは身勝手で、ひどい裏切りの道だった。そんな恋が上手くいくわけがなかった。その後も何度か男性を好きになったものの付き合うところまで行って怖気づくを繰り返す。もしくは付き合えない、告白しても断ってくれるであろう既に相手のいる人を選んだこともあった。

何も上手くいかない。

男性に告白した先にある「女性として振る舞う自分」が想像できない。

それで上手くいくはずもないよ。

「自分がどうしたいか」を、決められていないんだから。

女性として男性と付き合いたい。
男性として女性と付き合いたい。
女性として女性と付き合いたい。
男性として男性と付き合いたい。
もしくはそれ以外。

まず、君がどうしたいか。どう生きてみたいかを考えなきゃ。

 

君はどうしたい?

女性になりたいとか、男性になりたいとか。
「絶対にこうしたい」と断定できなくてもいいよ。なんなら途中で考えを変えたって良い。

決める時もどっちで振舞っている方が気持ちが楽にいられるかとか、どちらかと言えばこっちとかでも全然いい。

それでももし、どちらにも違和感があったり、どちらか一方に決め兼ねたら。

どちらでもなくてもいいし、どちらもという道も選ぶことも出来る。

 

身体が女性だから、心も女性になる必要はない。

女性でないからと、男性になる必要もない。

身体が男性の場合だってそうだよ。

 

たぶん僕の中には小さいころから、女の子も男の子もいた。

女の子と男の子は同じように心の中で成長して、同じように20歳を迎えたんだ。

心の中に女の子と男の子がいる場合。
女の子を選べば、男の子はいなくなって。男の子を選べば女の子が居なくなってしまう。
もしくはいなくならなきゃいけないと思っていないかな。

そんなことは全くないから大丈夫。
どちらも選ばない場合でも、女性を選んでも、男性を選んでも、居なくなることはないし、居なくなるようにする必要もないよ。

君の中に居る女の子も、男の子も、大事にしていて良いから。

 

さて、20歳の僕。君は翌年にXジェンダーを選ぶ。その生き方が腑に落ちる時が来る。

ちゃんと「性別を定めない」という生き方に寄り添ってくれるパートナーも、友人も、同僚も上司もいるから。安心してほしい。

でもそれはその生き方を勝ち取ろうと、恋人や友人に向き合ったり、信頼してもらえる位仕事を頑張った結果です。
どんな道を選んでも、どんな性別を選んでも、その自分の生き方を受け入れてもらえるように歩くのは自分自身。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とも言うけれど、人として素直に周囲と接して大切にすれば「同性愛?そうなんだ。それで?」位に思ってもらえる可能性はとても高くなると思うよ。かと言って、認められなかった場合でも自分のそれまでの行いのせいとは限らない。状況やタイミングによると思うから、話したい人が出来たら慎重にいこう。もちろん受け入れてくれそうな人を慎重に選んで、いくことも大切。あくまで人と人だからね。
言う時にはすごく緊張すると思う。僕もこの10年近くで何人にもカムアウトしたけど、緊張しなかった事はなかった。毎回、受け入れてくれそうな人を選んで、その答え合わせをするような感覚だったよ。

 

どうしたいか、どう生きていきたいかがおおよそ定まって、同性愛のことだけでなく君を理解してくれる人がひとりずつ増えていくと、おのずと生きるのが少しずつ楽になる。
僕が僕で、君が君で居られる場所や瞬間が増えてくる。

こうして書いている30歳の僕も、まだまだジェンダーを、異性愛者であると偽る瞬間はある。でも確実に僕が僕で居られる瞬間は増えてきた。

だから君にも、君で居てほしい。

カムアウトするもしないも自由。優劣はない。

どの性別でどの生き方を選んでも優劣はない。

 

20歳のころから今日までの10年。

世の中はだいぶ変わりました。LGBTというワードが一般的になって、パートナーシップを導入する地域も出始めた。あの頃にはとても考えられないことです。

だから今の20歳の誰かの、僕らのこれからの10年はまた考えられないような変化がある可能性があります。

それが良い変化であることを祈って。

そして僕が僕で、君が君で居られることを願って。

君よ、君であれ。

 

 

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