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【by them更新のあとがき】かぐや姫と女童(めのわらわ)ちゃん

高畑勲最後の監督作品である「かぐや姫の物語」。もし翁と媼、周囲の人々が「世間が思う女性の幸せ」ではなく「かぐや姫」の幸せを願っていたら、違った結末になっていたのかもしれない……そんな想いにさせられるただのお伽噺ではないこの作品を、改めて考えてみました。

こんにちは、椎名です。


今回の更新ですが、なんと大好きなジブリ作品のレビューをベースに書かせていただきました!

ジブリ映画『かぐや姫の物語』から考える、ジェンダー・ルッキズムの問題


この作品が好きで円盤も持っていたりします。
映像美やキャラクターの素朴な可愛さももちろん好きなポイントですが、それらの奥にある描かれているひとつひとつがどうも考えさせられる内容であるところが心打たれる、好きなポイントです。

その”考えさせられる”部分は主に女性として生まれ、生きることについて。
誰もが知るお伽噺でそれを感じられるのは、映画作品としても新たな視点を与えられている気がして素敵。お伽噺を再構成ではなく価値観だけをアップデートしているというか。
物語の基本軸はお伽噺と変わらないのに観ている自分の感覚に変化があるところや、受け取り方に注目する観方もいいと思います。「そういえば観ていなかったな」という方もぜひ観ていただきたい作品です。あ、ついでに僕の記事も笑



◍┈⿻*.·

かぐや姫と女童(めのわらわ)ちゃん

かぐや姫の従者として登場とする女の子、女童(めのわらわ)。
僕のパートナーであるヨメちゃんは彼女のことをよく自分に似ているといいます。

(下の画像の右端に居るのが女童)

© 2013 畑事務所・Studio Ghibli・NDHDMTK

ふっくらしたほっぺや髪型のせいだと思うのですが、本人に言われてからそうとしか見えなくなってしまって。確かにこのなんとも言えない表情とか似ているなぁなんて。わが家では「めのわらちゃん」と呼んでいます。
そんなこともあって余計にこの「かぐや姫の物語」が好きになりました。

(話が逸れますがジブリの素材使えるようになっていたのをすっかり忘れていました。あとで壁紙にしよう。)

なんとなく、めのわらちゃんってあの時代において「ちょっと変わった子」だと思うんですよね。常識の範囲内にいる「変わった子」。
それでもきっと適度に世の中の“普通”を「こういうもんよね」なんて俯瞰しながら生きていくような。それを間違っているとも思わないけど少し寂しく思っている雰囲気がある気がするんです。

かぐや姫の事も最初は「どんなお姫様かな?」なんて思っていたのを、姫の行動に「ええそんなことしちゃうの?」とその度驚いて。でも「姫のそういうところなんかいいな」と思う懐の深さなのか、自分も少し変わっているところがあるのを自覚して共感しているのか受け止めていく。

めのわらちゃんがかぐや姫が月へ帰った後どんなふうに暮らして、どんな女性に成長していくんだろう。
世の中の“普通”の轍を踏んで、結婚、出産を経て子どもたちにかぐや姫の事を話したりするんでしょうか。
ヨメちゃんになんだか似ていることもあって、どうにかめのわらちゃんが思う幸せを得られるといいななんて思います。

彼女と姫の友情やふれあいにフォーカスしたスピンオフ的なものを、ジブリ美術館内のショートフィルムでもいいから見ることが出来たらいいのに。
高畑監督亡き後では叶わないのでしょうね。

そうでなくてもジブリ美術館、また行きたいなぁ。昨年秋にはじめて行って、とても楽しかったので。
ジブリパークもいよいよ今年開園しますね。
昨年から公式のYouTubeチャンネルを登録して、出来上がる様子を拝見していたので楽しみです。


いつにも増して取り留めない話ですいません。
では。




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