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僕がライターとして顔出しをしていない理由。

こんにちは、椎名です。

2020年の秋ごろから細々と見よう見まねでライターのようなことをはじめ、21年7月からは「by them」さんというメディアで不定期でコラムの連載をさせていただいています。

今は複数、定期でリピートいただいているそれぞれ別のクライアント様の案件をいただいています。本業があるので今はちょうどいい量と言えば量なのですが、ライターの端くれとしてもっと色々なところで書いてみたいというのも正直なところです。

最近はインスタもライター用に新しいアカウントをつくり、より多くの方に読んでもらえる工夫を…と考えている次第です。顔出しをしていないので、もしかしたら顔出しをした方が良いのかもしれないとも考えます。その方が、LGBTQ+当事者としても言葉にリアリティが出るでしょうし、顔が見えて書き手の雰囲気が伝わった方が記事への信頼も感じてもらえるかもしれません。イメージがつきやすい分、いただける仕事の幅も広がるかもしれません。

顔出しをするかどうかは、実はコラムでの不定期連載が決まった頃から何度も考えてきました。何度も考えた上で、僕は公に顔出しをしないと決めたのです。

 

ライターの端っこに足を踏み入れた頃は、勤めていた会社が副業を禁止していたので身バレ防止のため顔出しは出来ませんでした。しかし今僕が勤めている会社は、許可制ですが副業が認められているので、顔出しをすることでライターをやっていることが会社にバレても問題ありません。LGBTQ+当事者としての執筆はカムアウトにも繋がると考えても、今仲良くしている友人のほとんどは僕に同性のパートナーがいることを知っています。書き手として仲良くしてくださっている方もそう。地元の友人やお互いの親にもカムアウトは済ませています。

だからきっと僕は僕だけのことを考えれば、顔出しをしても大丈夫なんです。

しかし、地元で暮らす両親や親族、友人たちにとっては、大丈夫ではないかもしれないのです。

離れて暮らす彼らの周りには、僕の顔を知っていて尚且つ僕のセクシャリティや女性のパートナーがいることを知らない人がたくさんいます。もしその人たちに僕がLGBTQ+当事者のライターとして活動していることを知られたら。その人たちはそれを面白おかしく、もしくはとやかく言うように僕の友人たちや身内に言うかもしれない。関係ない人にも言いふらすかもしれない。土地柄、と言ってしまうのは簡単ですが僕には自分が生まれ育った土地に対して、そう思えて仕方ないのです。離れて暮らしているから現状はそうではないかもしれないけれど、社会として考えても安心してオープンに出来るとはあまり思えない。
もしもそうなった時、友人たちや身内が肩身の狭い思いをしたり、嫌な思いをさせられる可能性があるのならその可能性は出来るだけ低くしたい。たとえ可能性の話であっても、僕にとっては顔出しすることで得られるメリットを越えることはないほどの、デメリットに感じます。

日本にLGBTQ+への差別はない、と言う方がたまにおられます。実際LGBTQ+当事者であることをオープンにして行った転職活動の中でそう言われました。
本当に差別はないのでしょうか。それならなぜ、僕は周囲の人を心配して顔出しできないのでしょうか。僕がこんな風に周囲へ心配していることは、社会にまだ差別があるという裏付けにはなりませんか?
もしも僕の思い込みだというのなら、思いこまなくていいような安心できる世の中になってほしい。安心できる世の中にしてください。
差別のない社会にするために、声を上げるのは当事者が多いと思う。でも、当事者だけでは社会は変えられないんです。当事者ではないひとが一緒に変えてくれないと、変えることが出来ないのです。

同性婚とか、当事者が生きやすくて当事者ではない人も生きやすい世の中になるように。これからも書くことを続けていきたいと思います。

顔出し出来ないし、しないことを選んだ僕のしたような心配が、いつか思い過ごしになる世の中を目指して。



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