エコシステムは「できるもの?」「つくるもの?」
長年の知己でありこの数年はコラボレーターとして日米に跨るライフサイエンススタートアップ創生・振興活動に共に取り組んでいる小柳智義氏による論考について敢えて少し距離を取って読み解いてみる。
本論考では、とかくスタートアップとは対立概念、というかもはや自らイノベーションを生み出すことができず、ディスラプトされ喰われゆくものとして語られることの多い既存大企業が実はエコシステムを回す上で重要な役割を担っている…というか担い得る、という議論。
この論考では、とかく「起業→VC ファイナンシング→株式公開などによるエグジット」という資本還流視点で語られることが多いスタートアップの「ライフサイクル」を「エコシステム」と見做すのではなく、「起業も含むイノベーション活動を通じた社会厚生向上を促すプレーヤー間のダイナミクス」と拡張認識することにより、スタートアップ「対」大企業ではなく両者に課された異なるリスク・リターン選好・責任に由来するポジティブな食物連鎖が成立し得ることが示されている。
そして大企業はライセンスや買収といったスタートアップ(の投資家)にとっての流動性確保・投資回収手段を提供するだけの何方かと言えば受動的なプレーヤーとしてのみならず(起業も含む)イノベーション創生・振興メカニズムの起動を促すような課題提起や資源提供という積極的プレーヤーとしての役割も担いうる、むしろ担うべき、とも主張している。
自分は長年サンフランシスコベイエリア(シリコンバレー)の起業ビジネス環境にどっぷり浸かってきた上、日本を「主たる商売のタネ」にしないことに拘ってきた立場なのでこうした「日本の起業・イノベーション」エコシステムに関する巷の議論に対しては文中にもある「エコシステムは自然発生するべきもの」的主張に与するものである。
ただし、自分が違和感を覚えるのはあくまでも「シリコンバレーで現在機能しているエコシステムの仕組みを完成形として受容」した上で「中央集権的に制度設計・導入」する「計画経済的」アプローチ。それに対するアンチテーゼとして「自然発生」という言葉を(我ながら浅薄安易なのは認めつつ)便宜的に使っている、と捕捉したい。
もっと言えば生態系…というよりはむしろ「市場」、は全くの「無」や「混沌」からなんとなく立ち上がってくるのではなく、システム内の構成要素である企業や資本家、個人といったプレーヤーの利己的利益最大化行動に対しそれに応えたり対立したりするという他の当事者によるこれまた利益最大化行動、という作用・反作用の繰り返しで、個々のレベルでも全体でも常時試行錯誤しつつ決して定常均衡することなく、それでも参加する個人としては自己実現や生活の糧を得たり登場する新たな製品やサービスによる生活の質は中長期的には向上していく、というものだと考えている。
そういう意味では小柳氏の語る「起業エコシステム」ではない「イノベーションエコシステム」という世界観は自分のものと切り口は違えど本質は類似したものなのであろう。だからこそコラボレーション関係が成立し継続するわけだし。
【付記】写真はクロアチアのアドリア海沿岸ダルマチア州にあるローマ時代の遺構が近代都市に連なるスプリト市で一昨年開催された先端テクノロジーサミットからのもの。三日三晩、日中のパネルディスカッションなどを終えた後深夜までこうして世界中から集まった参加者が歴史的建造物の合間にあるカフェで自由闊達な議論が繰り広げられるが、こうした集まりが同市を核とした「イノベーションエコシステム」の萌芽に繋がれば…という願いと期待を当該サミット運営に参画する者として思いヘッダーとして採用。