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時間に追われている、と感じたら…

この2週間ほど何かにせっつかせれて、ちょっとついて行けていない感じ。こういう時に限って重いものを永遠に運び続ける作業が入ったりして、体力的にも(特に季節の変わり目)エネルギー的にも落ちてくる。挙げ句の果てに、友人からメンタルエネルギーを奪われるような、なんとも気分の悪い思いをさせられる。何故に、一気にいろんなことが起こるのか?「これはやり過ぎるな」ってことだと、戒め、戒め。

私はDyslexia (ディスレクシア:読字障害)とDyspraxia (ディスプラシア:統合運動障害)だ。日本語訳はちょっと違うと思う。本当の症状は人それぞれで読み書きだけではないの。まぁ、学習障害と日本では言われるけど。クリエイティブな人には多いらしい。事実私が40歳を過ぎて入学した芸術大学院の初日レセプションで、うちの大学院の60%がDyslexiaということだった。だからというわけではないのだろうが、ものの捉え方の感覚がどうやら大多数の世の中の人たちとはちょっと違うようだとわかり、妙に納得したよ。

まず、腕時計をやめた。身の回りに置く時計の数も最低限に減らしたよ。そして気づいた。いかに私は時間を中心にして生きているのかが。自分の気持ちや体調が中心のはずなのに、世の中、時間や他人の方を軸にしてたよ。これって小さい頃からの教育システムの過程で、考えもぜずに自動運転でやってちゃってないですかぁ? いや、もちろん社会人として時間を守らないといけない場面はいっぱいあるけど、でも自分で意識的にやっているのと無意識なのでは全然違う気がするなぁ。だから私は予定(ここでは緩い予定 ex.仕事帰りにパブに行く)を入れるのがすごく苦手。人と会う約束をするのも、大体の感じで決めてる。因みに10代の頃からスマホを持っている世代の若者たちはそれが当たり前なようなのだけどね。

時間の概念みたいなものはまた今度として、私には5分とか1時間とかの感覚がよくわかんないのよ。だって仕事で集中している時は4時間ぐらいあっという間に過ぎるのに、バス待ってる10分、異常に長いよ。これを読んでる皆さんも、この感覚はわかると思うけど。自分ゾーンに入って物作ったり書いたりしている時は一区切りの時間なんて決めたくないよね?だのにさ、「6時にパブでねぇ」なんて期限切られちゃうと、その時間制限にメンタルエネルギーとられるでしょ?そうすると今現在に100%脳みそ使えない羽目になるよね。自分がこんなだから他人にも意外と寛容になれるかもね、その辺。

せっかく親からもらった尊い命、すなわち与えられた時間を大切にしたい。そして期せずしてこの記事をupした今日は、秋分の日。昼間と夜の時間が同じになる日。

注:あくまでもプライベートな時間の使い方についてだからね。


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