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SDGsは私たちの精神安定剤

1世界の貧困0に。

2世界の飢餓0に。

3老若みんなに健康と福祉を。

4世界中みんなに公正で質の高い教育の機会を。

5全ジェンダーを平等に。

6世界中みんながいつでも綺麗な水を飲めるように。

7世界中みんなが安くて信頼できるエネルギーを使えるように。

8みんなが幸せに働きながら成長できる場を。

9産業界でイノベーションが起こせる基盤を。

10人や国どうしの不平等0に。

11誰もがずっと住み続けたい街づくりを。

12生産する側も、消費する側も、責任を持って。

13気候変動について緊急対策を早くしてください。

14海の豊かな資源を守ろう。

15陸の生態系や資源を壊さないで。

16みんなが法のもとに守られるように。

17国同士、企業同士、みんなで協力して達成しよう。

これが、よく最近耳にするSDGsの17個の目標。

2015年-2030年までの15年間で実現したい、世界の理想像のための目標で、SDGsが達成されないと世界のどこかで多くの犠牲が出ることは目に見えているので、

SDGsによって世界は平和になるって、真剣に思ってる人が多いのが現実です。

でも、SDGsは「大衆のアヘン」って呼ばれ方をすることもあることを知っていますか?

SDGsが「大衆のアヘン」って言い方をされるのは、地球が気候変動のせいでもう引き返せないほどの危機に直面している中、企業側が消費を促進させるよう、「SDGs商品だから大丈夫」と、大衆を安心させる精神安定剤のような役割をしているからです。

資本論を書いたマルクスが資本主義の辛い現実を和らげるために普及された宗教を、アヘンという薬物に逃げ込む行為を揶揄して「宗教は大衆のアヘン」だと批判したように、

「自分はSDGs関連の商品を買うことで温暖化対策をしてる」

って、思い込ませることで本当に直視するべき事実、
「自分の消費行動が地球を危機に追い込んでいる」
ことに目を背けることができてしまうことを、

「SDGsは現代版大衆のアヘンだ」

と言っているのです。
(これは斎藤幸平先生の「人新世の資本論」という本に書いてあります。)


さらに、
SDGsは2030年までの目標ですが、私たちの今の生活のままでは明らかに達成不可能です。

ほとんどの問題の原因が私たち、世界の「富裕層」と呼ばれる層の人々で、それに気がついてもいない人が多い、気づいていたとして今の生活水準を下げてまで誰かを助けることはしたくないからです。

影響を受けるのはいつも、社会的弱者層、貧困層だからです。


だから、
SDGsという言葉を免罪符に、大量消費社会がやめられないのです。


もうそろそろ、変わるべきじゃないでしょうか。

大切なのは、「これ以上無駄な消費をしない」ということであり、SDGs関連だからと言って消費していては同じかそれ以下です。


SDGsは、政府や企業だけじゃなくて、先進国にいる私たち一人ひとりの意識がかなり重要です。

ある程度自由があって、1つ1つの行動に影響力がある私たちだからこそ、一歩間違うと暗い社会を作れてしまうし、ちょっと意識を変えるだけでとても明るい社会が作れるからです。

SDGsの目標をよく見ると、
これは途上国の目標、これは先進国の目標、って結構しっかり分けられることに気づくと思います。

目標を見てもわかるように、
「飢餓で苦しんでる人」
「綺麗な水が飲めない人」
「教育の機会がない人」
「電気が自由に使えない人」
とか世界にはまだまだいるんだなって、目標自体がまだそこなんだなって、再確認できると思います。私のルワンダにいる同世代の友達も、毎日1日1食で生活しています。

そして私たちは、
SDGsを通して、少しでも彼らの幸福に貢献していると思い込むことによって、自分たちの罪を無かったことにしようとしています。


世界は確実にマイノリティや弱者に優しい社会に変わっています。それを私たちは「寛容」になったという言葉を使います。

でも、「寛容」ってそもそも何でしょうか?

自分とは違う人間を受け入れ、
許容することでしょうか?
優しくなることでしょうか?
他者を尊重することでしょうか?

私には、
自分の今の幸せや自由、生活水準が脅かされないほどの小さな範囲でのみ、「他者の幸せを願うこと」だと感じます。


考えてください。

今私たちの恵まれた生活があるのは、世界中でたくさんの犠牲があったからです。私たちの平和な世界は、踏みつけられた犠牲者の山が引き詰められて成り立っています。

今の格差社会が存在するのは、
それだけ確実に私たちが誰かから「奪ってきた」証です。

自然環境から、
無知な貧しい人々から、
動物から、
未来の世代から、

声なき弱者から「奪ってきた」からこそ、今の豊かさがあります。

綺麗な水が飲めて、
教育の機会があって、
お腹いっぱい栄養いっぱいのご飯が食べれて、
働ける場所があって、
働いたらそれなりのお金が入って、
無駄づがいできるお金があって、
殺されるという脅威がなくて、
差別の対象でもなくて、

あげ出したらキリがないぐらい、私たちは生まれた場所が日本というだけでこんなに恵まれています。私たちが弱き者に「寛容になる」という表現は、必死に不平等と戦ってる人たちに失礼ではないでしょうか。

私たち日本人の認識を今一度改めなければ、本当の意味で平和な世界を作ることは不可能です。今の生活を続ける限り、世界のどこかで、声なき犠牲者が増え続けます。

「仕事だから仕方ない」
「指示されたことをやっただけ」
と言い訳をして、どれだけの罪なき弱者を苦しめてきたでしょうか?それが自分の意思ではないから、責任は免れるのでしょうか?私たちはロボットか何かでしょうか?


そうやって、小さな虫も殺せないような豊かな人々が罪の意識もないままに残虐な行為をしています。「大衆のアヘン」と呼ばれるぐらい、SDGsは強い精神安定剤です。

私たちはアヘンを卒業し、自分の行動に責任を持ち、「何かをする」という意識から「何かをやめる」という意識へ切り替えないといけません。


私の「やらないことリスト」です。

人権に関して、
・人を固定観念や先入観で判断しない。

動物の権利に関して、
・動物が犠牲になって作られる食べ物、服、化粧品などは買わない。(ビーガン)

環境に関して、
・食べ切れる分しか買わない作らない。
・新しい商品はなるべく買わない。(中古や古着)
・使い捨てになりそうなペットボトルやプラスチック製品は買わない。


SDGsの達成目標は2030年で、私はその頃30歳ぐらい。働き盛りだったり、子供産んだり、新しいこと始めたり、何をしているかわかりませんが大切な時期です。

これを読んでいるあなたも、2030年は何歳で、何をしてそうか考えて見てください。

今私たちが大きく生活意識を変え、SDGsが達成されるかされないかで、世界中で救われる命も環境も増えますが、同時に私たちみんなの未来が明るくなることを信じてください。

SDGsをいっときのトレンドで終わらせることも、免罪符として消費行動の言い訳にすることもだめです。


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