私の杯は溢れています
モヤモヤしながら出勤、与えられた会社のビジョンをまるで自分の目標であるかのように置き換え仕事をし、帰宅をする。
一体何の意味があるのか。
生活を守るため。家族を養うため。
それが責任なのだから。
夫になり、父親になり、管理者になり
一体何を得たのか。
ふと学生の頃、やんちゃで後先考えず自由に無茶ばかりしていた自分を思い出す。
とても楽しくいい思いだ。
ブレーキを踏まず、アクセルばかり踏み
その分、周りには迷惑をかけたのだろう。
水溜りを見ればもちろん飛び込み楽しんだ。
ただその飛び散りは当時考えていなかった。今はその飛び散りを処理する方だ。
大きくなるとはこういうことなのかと。
責任を持つとはこういうことなのかと。
ほんとに辛く苦しいばかりなのか。
☆☆☆
高齢者介護真っ只中の親父に連絡をした。
体力も減り、食欲もあまりなくそんな中でのお袋の介護だ。
辛いに決まっている。
でてくる言葉は違う。
ありがたい。
皆に助けてもらえる。
母さんも少しづつだが元気になっている。
ほんとにありがたい。
些細な事が感謝で溢れてる。
私の杯は溢れてる。
☆☆☆
間違いない。
つらいと感じるのは自分の思い違いで、
与えて下さっているものはすべてが素晴らしい。
家族、仕事、この時間でさえも。
すべてが満たされている。
私の杯は溢れてる。これ以上何を求めるというのだ。
感謝ばかりなのだから。
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