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大統領選を通して思うこと(その三)そのドラマ的性質


今年のアメリカの大統領選も、なかなか面白くなってきましたね。バイデン前大統領が撤退してから、ハリス氏が民主党の大統領候補になり、無所属候補のロバート・ケネディ・ジュニア氏が撤退して、トランプ大統領のサポートにつくなど、短期間の間に次々と大きな動きが出てきています。

4年前の大統領選挙の盛り上がりようは、大変なものでした。私の住むブルーステイトでは、選挙結果が出た当日は、お祭り騒ぎで、パンデミック中のストレスも合まってか、ソーシャルディスタンスはどこへやら、マスクを外してシャンペンを回し飲みするという光景がありました。

これは異国人としての客観的な見方かもしれないのですが、アメリカの選挙は、ショーのように思えます。キャンペーンもさることながら、ディベートや大統領候補演説、様々なイヴェントなどで、選挙当日まで何ヶ月もかけて盛り上げて行くその様子は、まさしくパフォーマンスです。その間は、ニュースや話題も選挙一色。国をかけての一大公演です。もちろん、他国や世界全体に与える影響を考えても、連邦国家であるアメリカを代表する大統領選挙が、大変重要であるというのはわかりますし、誰が大統領になるかによって、影響を多大に受け、人生が変わってしまう方達がいるのも確かなので、選挙に力を入れるのは当たり前です。

でもやっぱり思ってしまうのです。不謹慎かもしれませんが、日本人の私には、一連の選挙にまつわる動き全体が、ドラマチックに思えて仕方ないんです。なぜ、ドラマチックに思えるのか?それはどうやら、この壮大な選挙という大イヴェントに、感情と勝ち負けが絡んでくることによるようです。私達が一般的に知っている「ドラマ」は、葛藤から生まれます。テレビドラマを思い出してもらえばわかると思いますが、葛藤や、予期しない出来事が起こらないと、ドラマが盛り上がって行かない。

葛藤は、異なる意見や行動のぶつかり合いですが、葛藤を起こすために、何らかの目的を持つ主人公、アンチ主人公が用意されます。そして葛藤を起こすために、何かの予期しない出来事がいくつも起こる。それに対して人物が反応する。目的が達成されないと、さらなる試練が待っており、その試練に取り組む人物に観客は一喜一憂する。まさに、勝ち負けの世界です。達成されると勝ち。されないと負け。それを繰り返して、目的が達成されたところで終わりです。そういう構造です。 

こうした構造のドラマを体験する観客は、登場人物と共に、感情移入して、カタルシスを体験します。例えば、コンテンポラリーのアメリカのドメスティックドラマだと、そこで、「あーこんなに壊れた家庭環境は、私のいる状況と全く同じだわ!」と涙を流して共感したり、「こんな酷い状況もあるんだわ。私の状況なんてまだいい方ね」と安心したりします。よくできたドラマであればあるほど、観客の感情がどう動くか心得ており、観客の心の中で感情の起伏を作り出すことができます。観客は、演じている役者を通して、自分が一時的に「生きている」感じを味わいますが、ドラマが終わり、劇場を出て日常に戻ると、その感覚は続かないことが多いようです。それは、ドラマを体験して、感情移入し、自分がそこにいるかのような幻想を持つにもかかわらず、「私は今、何を感じているのか」「私はどう感じるのか」「私はなぜそう感じるのか」という、自分の内に向けての問いかけに、重きが置かれていないためです。これでは、変わるものも変わりません。

少し逸(そ)れますが、こうした構造を持つドラマに反して、「カタルシスは、一見、自己に面しているように見えて、実は自己逃避ではないか」と問いかけ、観客に考えさせることを目指したドイツのブレヒトや、不条理劇「ゴドーを待って」で知られるベケットという演劇人もいます。彼らのドラマでは忘却の代わりに覚醒が目的となっており、葛藤は、二人の人物の間だけでなく、一人の人物と社会の間や、自分の内面で起こるのです。

大きな円は社会、小さな黒と白の丸は2極対立、自分の中心は幾重にもなった円。傍観者の自分。

私達は、国のトップに立つ人に、社会を変えてほしい、生活の質を変えて欲しいなどと望むことが多々あります。しかし残念なことに、今までの情勢からして、誰が選ばれようと望むことが実現される確率は低いようです。

近年注目されてきている量子力学では、波動という言葉がよく聞かれます。ある一定の波動は、それに似たものを引き寄せると言われますが、もしそうだとすれば、私達の中で起こってきている葛藤や感情の動きと政治の動きは、繋がっているとは言えないでしょうか。外からの力に期待する以前に、国選という大きなドラマを通して、自分自身の感情の動きを観察し、葛藤を振り返ってみても良いのではないかと思います。

今葛藤を感じるとすれば、それは、人と人との間、又は、国と国との対立の中にあるのでしょうか?自分と人の間にあるのでしょうか?自分と社会?自分の内?そしてそれらはどう繋がっているのでしょうか?


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