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ロシア音楽を「敵性音楽」にしてはならない

最初は、そんな馬鹿な、ありえない、と思った。

ウクライナに軍事侵攻したロシアを非難する世間の空気をおもんばかったのか、私の番組に「ロシア音楽をオンエアしても本当に大丈夫なのか?」という問い合わせが入ったからだ。

当然問題ない。
チャイコフスキーやショスタコーヴィチの音楽なしに、我々音楽ファンは生きていけるだろうか?
絶対に否である。あれはロシアだけの音楽ではない。人類の共通財産ともいうべき世界音楽であり私たちの心の音楽でもある。
だから何が起ころうとも自粛せず、今まで通り自由に選曲していきたいと思っている。

けれど、もしロシアが核兵器を使ったら?
第3次世界大戦になって、西側諸国の一員として日本がロシアと交戦状態に入るようなことが起こったとしたら?

信じ難いことだが、最近ロシア料理店への嫌がらせが多発しているという。今後、ロシア音楽が「敵性音楽」にならないと、果たして断言できるだろうか?

荒唐無稽な想像であってほしい。
けれど、戦争の当事国になるということは、日常生活のあらゆる次元において、これまでの常識を覆すような、そんな馬鹿なと思うような理不尽なことがまかり通るようになってしまうことでもある。

威嚇するような、恫喝するような声が、人間らしさを圧殺し、芸術や言論の自由を抑圧してもやむなしという空気が、社会全体に充満する。肩をすくめながら、事を荒立てずに、それに同調することが、その空気を一層確実なものにしていく。戦争をするとは、そういうことでもある。

今回プーチンがとった軍事行動は世界中の非難を受けて当然だし、どんな理由があろうとも、国際紛争を解決する手段として、武力を行使することには一片の正義もない。それを命じたプーチンは完全に間違っている。
しかし、だからといってロシアの偉大な芸術文化まで拒絶することはあまりにも愚かである。
それとこれとは全く話が別だということを、当たり前のようだが、やはりはっきりと口に出して言っておかなければならない。

ウクライナに心を寄せることも大切だが、同時に、日本を愛してくれる一般の心優しいロシア人たちに対して、この国で危害が及ぶようなことがないように、守ってあげなければならない。

少なくとも私たちの心の中には、平和の砦を一層強固に築いておかなくてはならない。

※写真は「サントリー音楽文化展記念出版 チャイコフスキー」(サントリー株式会社文化事業部発行、TBSブリタニカ発売)の扉より引用撮影

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