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自宅介護を終えて(犠牲)#3

前回の記事では、自宅介護による成長について書きました。多くのものを得て、たくさんの経験ができました。一方で、失ったものはあまりにも大きかったのかもしれません。それはコロナ禍にならなくても変わりはないでしょう。


権利

私は、4年前に権利を買いました。大学に通う権利です。大学で多くの学びを得ようと勉学に励み、友人との楽しい時間(大学の友人といるときは楽しかった。もっと遊びたかった)。

世の中には大学なんていらないみたいな人もいると思います。私は大学に行かなかった人生を歩んでないから、どっちがどうとかは言えません。ただ、大学に通えた時間は人生の財産になりました。

大学3年の後期から、私は約1年半の通える権利を失いました。大好きだった図書館に行けず、授業もろくに出られない。友人と遊ぶなんてもってもほかです。

「大学に行けなかったなー、行けたら良かったなー」

訪問看護さんが言ってくれた言葉でした。


時間

私の一日野良タイムスケジュールで安息の時間を得られるのは、23時〜26時までの約3時間でした。それまでは、ずーーーーーーーっと気を張っていて、母の介護に目を向けなければなりませんでした。勉強をしても集中なんてとてもじゃないけどできません。

最近は、訪問看護さんなどの協力のもと時間もできてきたのですが、総合的に見れば微々たるものだったと思います(ただ、この「微々たるもの」に救われたのはもちろんのことです)。

友人と遊ぶ時間は、十分に取れません。どれだけ運が良くても週に2回。基本は1回しか外出の時間は取れませんでした。LINEやInstagramなど友達と繋がるツールを消そうとも思いました。明るいみんなを見るのが嫌だったのかもしれません。

そして、何より勉強する時間が無くなることはとんでもない苛立ちを感じます。「学べない」ことがどんなに苦痛であり、「学べること」がどれほど幸せなことかを体験しました。

どうなんだろう。「あいつは変わったよ」などと言われてるのかもしれない。変わらざるを得ない環境に置かれていない人には言われたくないし、そいつら全員見返すほどの力をつけたいと思う。


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失ったものを数えるのは結構疲れるものですね。私は、この記事を書くにあたって成長したポジティブ面だけにしようと思っていました。でも、現実はそんなに甘くありません。良い面ばっか拾い上げてもなんの面白みもないことはわかってます。だから、こうして書きました。

もっと、犠牲はあると思いますが、介護のせいにしたくないので、制約の中で書きました。



在宅介護やヤングケアラーの方はこれぐらい、はたまたこれ以上の辛い思いをされているんだと感じていただけると幸いです。

ここでサポートいただいたものは、全て私の母の病気への還元に使わせてただいています。