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子供たちは学ぶ「権利」を持っている。大人たちは学ばせる義務がある。

----ー私は義務教育もかなり前に終えた1人だ。-----


小学校、中学校と勉強の成績は良い方だったと思う。その中では、優等生と言われる部類だったのではないかな。

その当時、私は自分の力で点数が取れて、成績がとれてる、私は一人で頑張ったのだ。誰の力を借りていないのだ。

そのような考え方をしていた。それは高校生になっても同じことである。なんら変わりはなかった。高校受験は塾に行かず一人で合格したし、それは大学受験も同じ。国立大学に塾に行かずに合格した。

私一人の力が素晴らしいと考えて驕っていた。


大学3年生のころから、母の病気が発覚し、生活だけでなく、私の人生観まで変えられてしまった。

親がこの面倒を見る余裕がなくなったとき、初めて親の存在をこれでもかと知らされる。自分一人できることはとんでもなく少ないし、今までのこと考えたら、どれほど迷惑をかけていたのかと考えさせられる。

反省に反省を続けつつも、自分から変わるしかないと、努力を感謝を交えながら続けている。


私は今、地元離れ、上京した。

大学生というレッテルを卒業し、社会人として一人で生活する道を選んだ。

入社式はオンラインだった。私の専務の第一声は「家族に感謝をしなさい」であった。深く頷くことしかできなかった。


私が上京する前、看護施設に移動した母に会いに行った。一段と細くなった母に涙を堪えながら、平静を装った。

「今までごめんね。ありがとう…」

母は涙した。


自宅介護は壮絶かもしれない。未来が見えなくなるかもしれない。私は実際そうなったこともある。

でも、その時の未来が今を迎える頃、それは大きな感謝になり、学びになる。

「こんな経験しなきゃよかった」という本音はある。でも、その葛藤や経験を人生だと感じてる。

そして、私は人から、歴史から、学ぼう。





ここでサポートいただいたものは、全て私の母の病気への還元に使わせてただいています。