あまみ

こんにちは、あまみです。 2020年に双極性障害と診断を受け、ゆるゆると会社員をしつつ…

あまみ

こんにちは、あまみです。 2020年に双極性障害と診断を受け、ゆるゆると会社員をしつつ体調コントロールに励む人です。 同じ病気の人も、そうでない人も、いろいろ共有できるとありがたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。

最近の記事

充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【15】復職2

 部署のスタッフはあたたかく迎えてくれた。  他にもパワハラ上司(エライほう)にひどい目に遭っている人もいて、ご飯を食べながら愚痴り合ったりしていた。  最寄り駅の安い居酒屋にも、みんなに何度か連れて行ってもらった。お酒はやめていたが、以前はイベントなどの帰りには必ず飲んで帰っていたので、懐かしかった。  しかし何より、仕事がきつかった。  体力はもちろん落ちているし辛いのは言うまでもないのだが、言うならば「脳の体力」が格段に落ちていると感じた。 「これくらいならできる

    • 充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【14】復職1

       休職して4か月半が過ぎたとき、やっと先生から 「少しずつなら仕事戻ってもいけるかな~」と言われた。  正直、二度と復職できなかったらどうしようと不安で仕方が無かったので、ほっとした。  しかし、仕事に戻るといっても、パワハラで身体をこわして休職した私がどこへ戻るというのだ。  私の居場所はあるのだろうか。  恐る恐るパワハラ上司(エライほう)に、復職の許可が出た旨をメールで連絡した。  以前は電話で報告していたが3分話すだけでも体調を崩すので、メールで連絡をするよう

      • 充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【13】家族2

         今思うと完全にうつ状態で頭が回っていなかったせいもあるが、家族には突っ込まれてすぐにばれた。  普段滅多に実家に帰らないので、「○○の書類?なんでいま必要なの」などいろいろ訊かれてしまったのだ。  そういう時に、親に嘘をつき通せる性格でも体調でもなかった。  通院し始めたこと、双極性障害であること、自立支援を受けることを告白すると、 「親戚の○○さんのとこの△△さんもその病気みたいだよ」と言われた。  親のきょうだいの話ではなかったのと、自分が普段やり取りの無い人の話

        • 充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【12】家族1

           診断を受けたとき、病気のことは実家の家族には隠しておこうと思っていた。特に親には知られたくなかった。  色々ショックを与えると思ったからだ。  親のきょうだいに精神疾患を患った人がいた。  実家に突然帰ってくるのは良いのだが、パニックになると住んでいる遠方の家から実家まで走って帰ってきたり、意思疎通がままならなかったり、不規則行動が多かったりと色々あり、祖父母が苦労していたのを見ていたからだ。  調子が悪い時は実家に帰り、しばらく過ごしていた。私は小さいころ祖父母と

        充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【15】復職2

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【11】カウンセラーの友人と行動療法2

           それから何回かに分けて、取り組める範囲でその本に取り組むことになった。  その本はいくつもの章に分かれていて、リストにチェックをしたり、自分が感じたことをノートに書き出したりした。  分厚い本ですべては取り組めなかったが、読む範囲を友人が指定してくれた。また、小分けに少しずつ取り組んだので、文章も問題なく読めた。  不安などの感情に圧倒されそうになったら、自分を傷つける行動から「注意をそらす」方法、五感を用いて気持ちを落ち着かせる方法、自分の感情に気づき、受け入れる

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【11】カウンセラーの友人と行動療法2

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【10】カウンセラーの友人と行動療法1

           病気のことは、親しい友人には正直に話していた。  予想に反して、ドン引きする友人は、ただの一人としていなかった。みんな心配し、散歩やお出かけ、旅行など、いろいろなところへ連れて行ってくれたり、ただただ話を聞いてくれたり、ご飯を食べたり、一緒に居てくれたりした。  なかでもカウンセラーの友人は、病気のことをよく知っているのでさまざまお世話になった。 私のパワハラ上司と会ったことのある友人は、私が不調を打ち明けたとき「あまみさん、あの人と2人体制の仕事って大変じゃない?大丈

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【10】カウンセラーの友人と行動療法1

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【9】休職中3

           少しずつ起きていられる時間が長くなってきたが、本をずっと読み続けるなどは困難だった。  何かしていないと不安で仕方がないので、動画をずっと観ていた。  情報が多いものは受け付けず、寝台特急で旅行するナレーションのない動画や、グルメ動画を観ていた。  一番観ていたのは大食い系だ。ラーメン5キロやパスタ12人前など、山と積まれた食べ物をすごい勢いで食べるのを見て、注意を逸らしたり(行動療法)ストレスを逃がしたりしていたのかもしれない。  本当に、ずっとずっと観ていた。ふと

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【9】休職中3

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【閑話休題】最近、体調不良。

           相変わらず、予定を詰め込んでいた。  というのも、だいぶ調子が良かったからだ。  おまけに、ありがたいことに色々お誘いをいただき、土日とも午前・午後は別の予定が入るなどしていた。  それでも何とか予定をこなせた。  しかし、大きな仕事を丸ごと引き継ぐことになったあたりから調子が崩れてきた。 ただでさえ複数の系統の業務を担当しているのにまた増え、3部署の仕事を引き受けることになった。 覚えることが多く、お金の管理も入ってくるため、ストレスが爆増した。 引継ぎもややこしくて話

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【閑話休題】最近、体調不良。

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【8】休職中2

           休職して1ヶ月ほどは、ベッドにいることが多かったように思う。 スーパーに行ける時は行っていたが、徒歩10分のスーパーにも行けないときは、徒歩1分のコンビニによく通っていた。サラダや冷凍ブロッコリーや冷凍枝豆、卵や総菜など、手軽になんでも買えるので本当にありがたかった。  ネットスーパーについては地域的に利用できるのだが、これをOKにしてしまうとネットスーパーに依存し、永遠に外に出なくなるのではないかと不安だったので、リアル店舗のみ利用しようと決めていた。  復職後に利用し

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【8】休職中2

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【7】休職中1

           次の日、朝起きた。何していいか、わからない。本当にわからないのだ。 すごい時間あるんじゃん、何でもできる!と思った。一瞬思った。が、それは大きな間違いだった。  何もできないのだ。本は読めない、音楽を聴く気にもなれない。テレビもうるさくてつけていられない。  起きているのもつらくて、ベッドに横になった。頭の中はぐるぐる動いている。相変わらず 「あの仕事どうなったんだろう…」 「これ、いつまで続くんだろう?復帰できるのかな?」 など、心配ばかりしていた。  休職してから、

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【7】休職中1

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【6】休職する

           2軒目の病院で双極性障害と診断され、通院と服薬が始まった。  睡眠導入剤は少し効いた。薬の副作用は特になく、早く気分が安定してほしいと思いながら通常通りに仕事をしようとしていた。  ところが症状は良くならなかった。手はふるえ、涙が止まらず、集中もできなかった。  薬は飲んだらすぐ効くというものではなく、効きだすまでは時間がかかる。一日でも早く効いてほしかったが、効きだすまでは、身体が耐えられなかった。  いつものように上司からダメ出しをされたある日、突然「もう無理だ

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【6】休職する

          災害時に情報で体調を崩さない方法

          あまみです。 旧年中はnoteをお読みくださり、ありがとうございました。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。 被災された方には、お見舞い申し上げるとともに 無事をお祈りしています。 今回は「充電式で、生きていく。」ではなく 「災害時に情報で体調を崩さない方法」と題しました。 不安や鬱に関する持病をお持ちの方に対し、 少しでもメンタルを保つ助けになればと思っています。 被災された方については言うまでもありませんが、 ショックと恐怖は計り知れないものです。 スマホのア

          災害時に情報で体調を崩さない方法

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【5】病院に行くまで2

          ある時、新店に向かおうと電車を降りると、競馬の騎手のようなの格好をした人がチラシを配っていた。チラシや看板の馬の顔が、とってもかわいかったのだ。私はくぎ付けになった。 すかさず騎手さんが話しかけてきた。 「馬、お好きですか?」 「好きです!(大好き!ほんと好きなんです!!)」から会話が始まり、 「乗馬の体験できますよ~この駅までお迎えの車来ます」 「まじで?馬乗りたい~!!」とすごく盛り上がってしまった。 私は動物が好きだし実家にも猫が3匹いる。だが現在はペット禁止のマン

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【5】病院に行くまで2

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【4】病院に行くまで

           病院に行く前の、元気な時の話。 体調が悪くなるまでの私は、誰から見ても元気な人間だった。 ランニングや登山が好きで、ロックが好きでライブにもフェスにも行くし、旅行も好きだ。  人と会ったり、話したりするのも大好きだ。集まって食事をしたり、仕事のイベントで普段会わない人と会うときには、仕事のあと必ず飲みに行ったりしていた。  仕事は教育系のサービス業。忙しく、やりがいのある内容だった。残業は月により異なるが、0時間の月は無かった。少なくて40時間ほど、繁忙期は100時間に

          充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【4】病院に行くまで

          充電式で、生きていく。双極症障害の暮らし【3】次の病院

           次の病院は、明るくてスタッフさんがたくさんいて入りやすかった。 先生はニコニコしながら「どうされましたか~」と言ってくれた。  今度は頭ごなしに「うつじゃない、病気じゃない」とは言われなかった。つらい時の症状とともに、仕事の状況や「元気な時はどんなことをしていますか?」と訊かれた。  不思議に思いながらも旅行やランニング、登山やロックフェスが好きなので伝えると、「双極性障害かもしれません」と言われた。なじみのない名前に「双極性…?」と訊き返した気がする。 「元気な時としんど

          充電式で、生きていく。双極症障害の暮らし【3】次の病院

          充電式で、生きていく。双極症障害の暮らし【2】最初の病院

           休職する2か月前、精神科に行った。不眠、不安などに加えて体が動かず、うつ病ではないかと思ったのだった。  予約の電話をするのがとても大変で、しんどい時にはできなかった。元気な人からすると「え?たかが電話一本じゃん?」と思うことが、ほんとうに苦痛なのだ。 数日こらえていると、底の状態からは少しましになり、電話で予約をとって病院に行った。 そこで先生に言われたことは、ショックのあまり忘れることができない。 「あなたうつ病じゃないよ、元気じゃないか!」  はぁ?と思った。元

          充電式で、生きていく。双極症障害の暮らし【2】最初の病院