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充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【4】病院に行くまで

 病院に行く前の、元気な時の話。

体調が悪くなるまでの私は、誰から見ても元気な人間だった。
ランニングや登山が好きで、ロックが好きでライブにもフェスにも行くし、旅行も好きだ。
 人と会ったり、話したりするのも大好きだ。集まって食事をしたり、仕事のイベントで普段会わない人と会うときには、仕事のあと必ず飲みに行ったりしていた。

 仕事は教育系のサービス業。忙しく、やりがいのある内容だった。残業は月により異なるが、0時間の月は無かった。少なくて40時間ほど、繁忙期は100時間に達することもあった。

 不規則な出勤で、昼過ぎから深夜の日もあれば、朝から晩までの日もあった。休みは週2休めたら「やった!」と喜ぶ感じ。量が多いうえに段取りが下手なのか、なかなか思うように休めなかった。大変でも、辞めようとは思わなかったし、それで十年以上のあいだ仕事を続けていた。
 顧客対応が好きだったし、お客様の笑顔ですべてが報われる、と本当に思っていたのだ。
 のちに出会う友人からは「あまみさん、それ、やりがい搾取ですよ」とバッサリ言われることになるのだが。とにかく、休みが取りにくいこと以外は、忙しいながらも楽しい生活だった。

それが、突然の異動を命じられたあたりからおかしくなってきた。

 ある年の夏の終わり、打ち合わせ前に突然呼び出され、新規店を出すからオープニングスタッフとして行くように、と言われた。
 いま対応している顧客には何も伝えることができず、次の週から外されることになった。意味がわからなかった。

 私の勤務先は年単位で顧客対応をすることが多く、秋口に担当変更になることは基本的になかったし、私も経験がなかった。泣いて反対したが駄目だった。がんばればその年度は担当できると思うのにそれは許されず、来週からもう、あの人にもあの人にも会えないのか…と思い、涙が出て仕方がなかった。

 気持ちを切り替えられないまま、新規店がオープンした。準備はもちろんだがオープンしても人手が足りず、繁忙期というのも重なり、やってもやっても、仕事が終わらなかった。
 新しく雇った事務スタッフの研修、慣れない土地の情報収集、新規顧客の対応、もともと抱えている数々の業務…回っていなかった。いつも複数の心配事を抱えていた。
 通勤時間は1時間少し。店内の業務量を担う割合も高かった。
忙しいのはもともと嫌いではないのだが、「結構きついな」…と感じていた。
(少し続きます)

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