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私が物語をつづるとき

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さよならサンダーバード、2024年3月16日北陸新幹線福井開業

2024年3月16日、ついに私の故郷の福井県に新幹線が開通する。 この記事を書いている時から遡ること8年前の2015年3月、北陸新幹線が開業し、北陸三県のうち富山県と石川県には新幹線が開通した。 北陸新幹線の開通により、富山県と石川県は、海の幸や情緒あふれる歴史遺産を売りにして人気の観光スポットとして全国にその名を知らしめた。 その一方で、福井県は北陸新幹線開業のお祭りムードに8年もの間、取り残されていたことになる。 参考:「北陸新幹線プロジェクト 2023年度末 金

体重33kgの母親

なぜこの話を書こうと思ったのかは分からない。 2011年11月、私の母親は52歳になってわずか数日で急性心筋梗塞でこの世を去った。 ここでは私の母親が亡くなるまでの数年間の話を書いていきたいと思う。 もう一度いうが、母の死後、12年2ヶ月経った今、この話を書こうと思ったのかは分からない。 この話は、私の母の、そして私の極めてプライベートな話であり、人に話してよいかどうか未だに分からない。 でも思い返すと、母の死には、 ・教員の多忙化 ・ヤングケアラー が関係し

缶の中に詰めたもの

ケイト・ウィンスレットが年下の恋人を情熱的に愛する気高い女性を演じた映画『愛をよむひと』(The Reader、アメリカ・ドイツ合作、2008年)。 物語は第二次世界大戦後、1958年のドイツにて、15歳の少年マイケル(ダフィット・クロス)と36歳の女性ハンナ(ケイト・ウィンスレット)が深く愛し合うことから始まる。 ここでは作品のあらすじ紹介をすることはないが、映画の終盤のとあるシーンに簡単に触れておこう。 第二次世界大戦中、ユダヤ人の強制収容所の看守であったハンナは、

怒りはあとからやって来る

カッとなる、そのような場面は、私の人生であまりなかったような気がする。 その代わりと言ってはなんだが、突然、堰を切ったように怒りの感情がとめどもなく溢れてきて収拾がつかなくなる時がある。 例えるならば、蛇口がついた樽を頭に思い浮かべて欲しい。 通常ならば、負の感情がザバザバと降ってきても樽が一杯になることなく、蛇口からそれらが流れ出てくれるというわけである。 ところがごくたまに、1年に1回あるかないか、蛇口が壊れて樽は満杯になり、それどころか上からだらだら負の感情が流

午後四時のカプチーノ

2017年秋、ミラノでの生活をスタートさせたばかりの私は、ただただ毎日疲れていた。 憧れの地に来たはずなのに、何をするにも分からないことばかりで疲れる。 いや、イタリア語は分かるのだが、想定外のことが次々と起こり、息つく暇もない。 朝目覚めると、古めかしい天井が目の前に入ってくると同時に隣の住人が水道を使いながら大声で話す声が聞こえてくる。 何だか遠いところに来てしまったなと、胸の奥がキュッとなった。 もし留学生活が春夏にスタートしていたならば、カラッとした気持ちの

甘い甘い朝のひととき

タイトルを見て、甘い朝の睦言を想像した方には先に謝っておきたい。 今回の話は、男女のソレではなく、文字通り、イタリアの朝ご飯は甘いということである。 いや、イタリアの朝ご飯は、甘過ぎる(troppo dolce)。 チョコやピスタチオなどのクリーム入りのブリオッシュにコーヒーかカプチーノ、オレンジジュースというのが、最もシンプルなイタリアの定番朝ご飯である。 ここ10年ほど、一人暮らしの気軽な身なので、朝ごはんをきちんと食べることが少ないのだが、朝ごはんを食べるとした

暴力的な悲しみに打ち勝つために

子供の頃はしょっちゅう泣きじゃくっていたのに、大人になってからとんと泣くことが少なくなった。 それでも数年に一度くらいは、胸から込み上げてくる悲しみに争うことができず、嗚咽し、とめどもなく涙を流すことがある。 10年前、母が死んだ。 様々な手続きを済ませ、夜遅くに帰宅すると祖父母が家の明かりとストーブをつけて待っていてくれた。 「ご飯食べたか」 と聞かれ、朝、ビスケットを3枚食べて以来、何も食べていないことに気づいた。 その時、食卓には白い冷やご飯が残っていた。

とりあえず、トマトパスタ

おもむろにパスタの袋を破り、グラグラお湯が煮立った鍋に、塩とパスタを一掴み入れる。 茹で上がったら、瓶詰めのトマトソースをかける。 なんてことのないトマトパスタの作り方であるが、世界中の留学生は、このパスタを一度は作ったことがあるのではないであろうか。 便利なの世の中なもので、すでに味付けされた瓶詰めや缶詰のトマトソースや乾燥パスタは、どこでも簡単に買うことができる。 またホールトマト缶を使ってソースを一から作るという、やる気のある人もいるかもしれない。 いずれにせ

終わってしまった夏

夏の午後8時、 南欧の空は、嘘のようにまだ明るい。 底抜けに澄んだ青空と、昼間より少し柔らかくなった太陽。 空気だけは、少しずつ夜の気配を纏いはじめ、優しく私の肌を包む。 午後のエスプレッソだけのつもりで待ち合わせした彼が、まだ隣にいる。 好きな音楽から仕事のことまで、お互い知らなかった部分を埋めるには、エスプレッソ1杯では到底足りなかったようだ。 ふと会話が途切れた時、はっとした私たちは、次の言葉を手繰り寄せながら時計に目をやる。 さぁ、これからどうしようか。

樺太のバターご飯

私の祖母は、樺太(サハリン)で育ったという。 祖母が3歳の時に、教師であった祖母の父が一家を連れて豊原(ユジノサハリンスク)に移ったそうだ。 その時から、終戦のわずか二日後、1945年8月17日に漁船に乗り、命からがら本土に戻ってくるまで、祖母は青春時代を樺太で過ごした。 この引き揚げの際には、魚雷で沈められた船もあったり、樺太から戻ることができなかった人もいたり、悲しく辛いことがあった聞く。 ところが、樺太で過ごした少女時代を語る祖母は、いつも楽しそうで、本土に戻っ