缶の中に詰めたもの
ケイト・ウィンスレットが年下の恋人を情熱的に愛する気高い女性を演じた映画『愛をよむひと』(The Reader、アメリカ・ドイツ合作、2008年)。
物語は第二次世界大戦後、1958年のドイツにて、15歳の少年マイケル(ダフィット・クロス)と36歳の女性ハンナ(ケイト・ウィンスレット)が深く愛し合うことから始まる。
ここでは作品のあらすじ紹介をすることはないが、映画の終盤のとあるシーンに簡単に触れておこう。
第二次世界大戦中、ユダヤ人の強制収容所の看守であったハンナは、終戦から20年以上が経った1966年、勤務中の罪を問われ刑務所に収監された。
それから時が流れ、1983年にハンナは釈放されることが決まったものの、釈放される日にハンナは刑務所の中で自死してしまった。
ハンナがマイケルに宛てた手紙の中には「紅茶缶の中に貯めたお金をユダヤ人の女性マーサー(ハンナが看守を務めていた時に収容所に入っており、生還した少女)に渡して欲しい」とあった。
マイケルは、ハンナの遺志をついでニューヨークに赴き、マーサーと面会した。
マーサーはハンナからのお金を受け取ることなく、紅茶缶だけを受け取った。
ユダヤ人のマーサーが、ドイツ人のハンナからのお金を受け取れば、それは彼女の謝罪を受け入れることにつながる。
無惨に殺されていったユダヤ人たちの悲劇を考えると、マーサーは、一人のドイツ人女性の謝罪をそう簡単に受け入れることはできない。
マーサーは「自分も幼い頃に宝物を詰めた缶を持っていたのだけど、収容所の生活で無くしてしまった」と受け取った缶を自身の美術品のコレクションなどを並べたところにそっと置いた。
マーサーはへこんで形が変わり、色がはげた缶を見て、何を考えたのであろうか。
自身の行いを反芻しつつ紙幣を缶の中に入れ続けた中年のドイツ人女性の侘しさを思ったのであろうか、それとも明日命があるかどうか分からないという恐怖と戦いつつ缶を胸に抱いていたユダヤ人少女の祈りを思い出したのであろうか。
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缶の中の記憶や思い出は、時を超える。
かくいう筆者も、幼い頃、宝物を詰めた缶を持っていた。
その中には、旅先に両親に買ってもらった青いガラスのペンダントや、祖母からお土産にもらったキティちゃんのキーホルダー、親戚のお姉さんにもらったパールの髪飾り、母親からもらった紙石鹸や絵画大会の景品としてもらったイルカの消しゴムなどなどが入っていた。
缶自体は今はもうないのだが、今でもその缶の形状やそこに描かれている絵は覚えている。
水色の缶には地図、民族衣装を着た人々、手を組んで踊る男女が描かれていた。
缶の中のお菓子が何であったか、そもそも筆者自身が食べたのかも思い出せないのだが、缶のデザインだけは覚えている。
大人になってから一度だけ、全く同じデザインの缶を吉祥寺のレオニダスで見かけたことがあった。
その時は「あー同じデザインの缶があるな」と思い、購入しなかったのだが、その後、同じ缶を見つけることはできなかった。
後悔後先たたず。
レオニダスの公式ホームページを見ても、その缶は掲載されていない
レオニダスはベルギーのチョコレートブランドということで「ベルギー お菓子 缶」というキーワードで画像検索してみることにした。
すると筆者が探していた缶の画像とともにキナリノの記事「食べ終わった後も楽しめる!箱や缶がおしゃれな【お取り寄せお菓子】」(2021年05月06日作成記事)を奇跡的に発見した。(上のスクリーンショットの右下を参照のこと)
キナリノの記事の説明を読んでみると、この缶は、フランス・ブルターニュ地方のメーカー「La Trinitaine」(ラ・トリニテーヌ)のガレット缶であるとのこと。
ガレットとは、ふんだんに良質な小麦粉とバターを使って焼き上げられ、まさに素材の味で勝負する、とても香ばしいブルターニュ名物のお菓子である。
(画像はキナリノのサイトより引用)
つまりこの缶は、ベルギーのお菓子の缶ではなく、フランス・ブルターニュ名物のお菓子の缶であったわけである。
ここに来てGoogleの画像検索の優秀さに舌を巻いた。
デザインが素敵なお菓子の間を特集したキナリノの当該記事の中には、別にベルギーのお菓子も紹介されており、そちらの方がキーワードに引っかかり、筆者はこの記事に辿り着いたというわけである。
このガレット缶を作っているフランス・ブルターニュ地方の菓子メーカー「La Trinitaine」(ラ・トリニテーヌ)の公式ホームページには同じデザインの缶は掲載されていなかったので、もう販売していない商品なのかもしれない。
同じ缶を手に入れたいという執念でさらに検索を進めると、キナリノモールなどいくつか日本国内の通販サイトではこちらを扱っているところがあるらしい。
フランスやイタリアで手に入らないのならば、日本の通販サイトで購入しようか...と迷っているところである。
幼い頃に入れた宝物と同じものは入れることができないにしても。
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2022年夏、私は昨年秋に亡くなった祖母の遺品整理を行っている。
90年間、戦前・戦中、戦後を生きた一人の女性のモノをタンスや棚から一つ一つ取り出し、使えるもの・使わないものに分け、さらに捨てるか捨てないかを決めていく。
写真や手紙、メモなどが出てくるとついつい手が止まり、懐かしく温かい気持ちになってくるのだが、片付けの時には手を動かさねばならない。
感傷に浸るのはその後だ。
おそらく年配の方の中にはある程度いらっしゃると思うのだが、祖母は綺麗な箱や包装紙、リボン、そして缶をよく取っておくことがあった。
確かにこれらはデザインも可愛らしく、素敵なのだが、中には私も覚えているエピソードを持つモノもあって、そういうものの処分には頭を抱えてしまう。
私が旅先で買ってきたり、誕生日に渡したりした時のお菓子の缶も大事そうに取ってあった。
また缶の中には切手やボタン、ジグソーパズルなどが入ったものもあり、きちんと容器の役割を果たしているものもあった。
ひとまずこれらを選別し、取っておきたいものだけ取っておく、あとは資源ゴミに出すことにした。
かくいう私もイタリアやフランス、そして日本で買い求めたお菓子の可愛らしい缶を取っておいている。
これらの缶は、クリップや付箋、USBなどデスク用品を入れるのにも便利である。
しかしたまにイタリアのヴィンテージショップでも見るのだが、これらの缶は、少し色褪せながらも、数十年の時をゆうに超えて残る。
大切なものを入れるには最適なタイムカプセルだが、残るからこそ、ついついその缶を見るとノスタルジーに浸ってしまう時もある。
特に人生が辛い時、楽しい悲しいにかかわらず思い出や過去が立ち返ってくることが辛く、何も考えたくない場合もある。
それでも蓋がついている缶であれば、見たくないもの・閉まっておきたいものを入れ、蓋をしてしまう、そしてそれを机の奥底に仕舞っておくこともできる。
今は向き合いたくないことでも、10年後、20年後の自分ならばうまいことやれるかもしれない。
長い人生の中で、自分のとっておきを入れておく用の缶に出会いたい。
そして私がいなくなった後に誰か欲しい人がいたら次に渡して欲しいし、誰も欲しがらなかったら資源ゴミとして出して欲しい。
缶の中に詰めるものは、私の人生、それもほんの一部である。
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