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怒りはあとからやって来る

カッとなる、そのような場面は、私の人生であまりなかったような気がする。

その代わりと言ってはなんだが、突然、堰を切ったように怒りの感情がとめどもなく溢れてきて収拾がつかなくなる時がある。

例えるならば、蛇口がついた樽を頭に思い浮かべて欲しい。

通常ならば、負の感情がザバザバと降ってきても樽が一杯になることなく、蛇口からそれらが流れ出てくれるというわけである。

ところがごくたまに、1年に1回あるかないか、蛇口が壊れて樽は満杯になり、それどころか上からだらだら負の感情が流れ出てしまうことがある気がする。

そんな時にはSNSを開いたり、人に会ったりしてもロクなことがないので、ひたすら凪が去るまで一人で待つことにしている。


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そう、怒りはあとからやって来るのである。

自分でこの言葉を反芻した時、イタリアの唐辛子を思い出した。

イタリア、特に南イタリアのカラブリア州には唐辛子を使った様々な料理があり、また唐辛子の種類自体も実に多様である。

中にはンドゥイヤ (nduja)というカラブリア州の名物であるサラミは、豚の脂身の多い部分と唐辛子を合わせたかなり辛いものらしい。

私はかつて唐辛子の辛味に「あたって」しまったことがある。

ミラノのアパートの共有スペースにそれとなく置かれていた干し唐辛子を、チキンスープに入れてみたことが全ての始まりである。

ルームメイトがアパートから退去する時、使い切れなかった食材や調味料を置いていくことがあり、中でも唐辛子は毎回誰かが残していっている気がする。

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それらの食材を共有スペースに置き、ルームメイト同士で自由に使えるようにしておいても、他の調味料に比べて唐辛子はいつまでも残っている率が高い。

唐辛子を使ってみようということで、私はある日、自分が作っていた野菜とチキンのスープに唐辛子を三つ入れてみた。

スープによってふやけた唐辛子、出来上がりを容器に移す時におもむろに味見をしてみたら唐辛子をもろに口の中に入れてしまった。

すると口の中に入れた時はさほど辛味は感じなかったのだが、後から口の中が熱くなり、だんだん痛くなってきた。

一向に収まらない口の中の熱気、痛いやら辛いやらで水を何度飲んだか分からない。

唐辛子の辛味は、その中の隔壁(しきりの部分)と胎座(種に接する部分)にあるため、その中身をしっかりとって果肉の部分だけ使用するというやり方もあるそうだ。

それとは知らずに、唐辛子を丸ごと口に入れてしまったものだからこのヒリヒリする辛味にしばらく苦しむ羽目になった。

もちろん韓国料理に使われるとろっとしたコチュジャンや瑞々しいキムチは好きだし、それらが食材と合わさって甘辛い味付けになるのは大歓迎である。

ただあとから何度も何度もやって来る唐辛子本来の辛味に旨みを感じることはできず、ただただ後悔が舌の上にピリピリと残るだけである。


もっとも、唐辛子が悪いのではなく、処理の仕方と料理の方法が悪かったに過ぎない。

例えば、ペペロンチーノのオイルソースを作るとき、最初に熱したオリーブオイルにニンニクを入れ、その後、唐辛子を入れる。

この時、唐辛子を引き上げる時間にさえ注意すれば、程よい辛味がオイルに付くことになる。

逆にいえば、唐辛子をいつまでもニンニクと一緒に熱した場合、どんどんそのオイルは辛くなってしまうというわけである。


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怒りはあとからやって来る。

このようなタチの悪い怒りに胸焼けを起こすことがないように、「あっダメだ」と自分で思ったらすぐにシャッターを下すことも大事なのかもしれない。

放置して後悔するような怒りの種には早め早めに向き合うべきなのである。

大失恋や友人との仲違い、仕事上の問題などに直面し、あとで何度も何度も思い出し、夜も眠れないというのはなんとも辛い(つらい)ことである。

怒るべき時には怒ってもよい、時には嫌なことを自力で解決しようとせず蓋をする、怒りで心がぐちゃぐちゃになった時にはちゃんと大丈夫になるまで自分に問いかける。

オリーブオイルの中で唐辛子を程よくチリチリ熱するように、自分の中の負の種をうまく扱えるようになりたい。


参考:

「ンドゥイヤのパスタ」『Bacchette e Pomodoro』(2022年2月13日最終閲覧)

『ハウス食品株式会社』公式ホームページ(2022年2月13日最終閲覧)


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