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とりあえず、トマトパスタ

おもむろにパスタの袋を破り、グラグラお湯が煮立った鍋に、塩とパスタを一掴み入れる。

茹で上がったら、瓶詰めのトマトソースをかける。

なんてことのないトマトパスタの作り方であるが、世界中の留学生は、このパスタを一度は作ったことがあるのではないであろうか。

便利なの世の中なもので、すでに味付けされた瓶詰めや缶詰のトマトソースや乾燥パスタは、どこでも簡単に買うことができる。

またホールトマト缶を使ってソースを一から作るという、やる気のある人もいるかもしれない。

いずれにせよ、パスタさえ無難に茹でることができれば、誰が作ってもまあまあな味に仕上がるのがトマトパスタである。

しかも乾燥パスタ500gを0.5-1ユーロ、瓶詰めのトマトソース1-2ユーロと考えると、キッチン付きのアパートでトマトパスタを作っていれば、かなり安く食費を抑えることができる。

実はイタリアのスーパーでは、日本で売っているような種類豊富なパスタソースなどは売っていない。

トマトソースやミートソース、バジルソースの瓶詰めや缶詰はある。

ところが、たらこパスタや和風きのこパスタ、梅パスタ、カルボナーラなどのソースなど、どこを見渡してもないのである。

そんなこんなで、初めての留学生活で近所のスーパーマーケットに行き、とりあえず今日の夕食を作ってみるか、と手に取るのが乾燥パスタとトマトソース缶なのである。


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ところで世の中には、2種類の人がいる。

一人は、毎日同じものを食べても特に問題はない人。

もう一人は、毎日、できれば毎食、なるべく美味しいものを食べたいと思う人。

前者が限られた条件で留学生活を送る場合、来る日も来る日もトマトパスタを食べることになるであろう。

パスタにサラダを添えてみようとか、たまにはインスタントのリゾットを作ってみようとかそんな発想はない。

いや言い過ぎかもしれない。

チーズを削ってみたり、トマトベースのミートソース缶を買ってみることはあるかもしれない。

いずれにせよ、毎日毎日、留学先のアパートでトマトパスタを作り、お皿に盛り、好きな動画をパソコンで見ながら、するするとパスタを食べるのである。

その一方で、後者は、初めて行く留学先の異国のスーパーマーケットに胸を躍らせ、見たこともない食品を手に取り、パッケージの文字を読んでみようとする。

「カルチョーフィ レシピ」などと、日本ではお目にかかれない野菜を見るととりあえずレシピを検索してみる。

買い物だけでは済まない。

とりあえず吟味して買ってきたものも、今日は米を炊くか、パスタを茹でるか、それともちょっと時間をかけて肉を焼くか。

パスタを作るにしても、オイルベースのペペロンチーノにするか、野菜とプロシュートを散らした冷製パスタにするか、それとも冷蔵庫の中の卵と生クリームを使ってカルボナーラにするか、無数の選択肢がある。

いざ今日の晩ご飯が出来上がって食べる段になっても、大人しくラジオを聴いたり、映画を観ればよいのだが、料理系の動画を観たり、あくなきレシピの検索をしたりすることもある。


さてこの2種類の夕餉、あなたはどっちであろうか。


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私は10代の頃からずいぶん長い間、「カルチョーフィ レシピ」と検索する側の人間であったかもしれない。

ご飯なんぞ毎日、次の日が来ればまた食べることができるものであるのに、特に1日のメインの食事の時には、今日はお米を炊くか炊かないか、肉を焼くか魚を煮るか、それとも楽して魚の缶詰を開けて、卵焼きでも作っておくか...

一人暮らしの自分の作るものなんて、よっぽどのことがない限り代わり映えしないのだけど、何をどう料理するか、帰り道すがらいつも考えている。

あまりに食べたいものが思い浮かばない時には、適当なもので空腹を満たすくらいならば、一食くらい食べなくても良いかなと一周回って面倒臭い考えに陥ったりもする。

日本に住んでいた時、午後のゼミの前の昼食は簡単に済ませたいので、さっとコンビニに入ることもあった。

そんな時でも納豆巻きが食べたいと思って入った店舗に、マグロの中落ち巻きとサラダ巻きしかなかった時は、自分の中で大騒ぎである。

数分歩いて別のコンビニ行こうか、それとも今目に入った塩昆布のおにぎりにするかなどと、しょうもない葛藤をする。

早くゼミに行きなよという感じであるが、イタリアに住み始めてからは、そもそもコンビニというものがないために、このような葛藤をすることはなくなったなと振り返る。

日本のように24時間365日、食料品を扱うお店があいているわけではないので、スーパーで買ってきた食品をやりくりして献立を考える。

もちろんパニーニやブリオッシュなどは、お店の空いている時間帯ならば、出先でもパッと買うことができるのだが、コーヒー以外ではちょくちょく財布を開きたくないというのが、留学生の本音である。

ミラノにいると、口に入れるものは、ほとんどが近くのスーパーで購入した食材から作ったものとなったが、それでも、今日は何のサラダを作ろうか、アンチョビがあるからニース風サラダにするか、プロシュートとトマトを盛り付けたサラダにしようか、また余った人参でしりしりを作ろうか...

などと、相変わらず今日食べるものについて真剣に悩んでいる。

もし自分が、パッと何も考えずにトマトパスタを食べることができる性格だったらどんな人生を送っているであろうか、とふと考える。

あるものでパッ、パッと、物事を決めることができる人間ならば、そもそも研究者として海外に留学するという長く先の見えない道は選ばなかったかもしれない。

もちろん優れた研究者の先輩・同僚・後輩の中には、トマトパスタタイプの人も少なからずおり、素晴らしい成果を残しているということは、誤解を招かないためにも強調しておく。

本当はトマトパスタを頬張りながら、博士論文だけを書かねばならないほど常に切羽詰まっているのだが、自分のためにお米を炊いて、スープやサラダを作ってあげるくらいの余裕は持ちたいと矛盾したことを思っているのである。







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