午後四時のカプチーノ
2017年秋、ミラノでの生活をスタートさせたばかりの私は、ただただ毎日疲れていた。
憧れの地に来たはずなのに、何をするにも分からないことばかりで疲れる。
いや、イタリア語は分かるのだが、想定外のことが次々と起こり、息つく暇もない。
朝目覚めると、古めかしい天井が目の前に入ってくると同時に隣の住人が水道を使いながら大声で話す声が聞こえてくる。
何だか遠いところに来てしまったなと、胸の奥がキュッとなった。
もし留学生活が春夏にスタートしていたならば、カラッとした気持ちの良い気候に心も晴れたかもしれないが、季節はどんどん日も短くなる秋。
わりと晴れる日もあるものの、曇りの日には、気づいた時には薄暗くなっておりそれだけで気が滅入ってしまった。
この頃、私はミラノ国立文書館で夕方18時に終わる講座を週に二コマ取っていた。
晩秋の11月といえば空も真っ暗、寒さで体も凍えそうである。
地下鉄の駅から家まで、バスがつかまらなかった時には歩くのだが、その途中に一軒のバールがあった。
ガイドブックに載っているミラノのカフェというよりも、地元の人がひっきりなしに訪れるこちらのバール。
地元の店と言いつつも、甘いお菓子や軽食代わりのパニーニやフォッカッチャなどメニューの種類は多く、またショーウィンドウには美しいデコレーションケーキがいつも並んでいた。
私はあまりお酒は飲めないけど、帰宅前に一杯飲みたくなる人の気持ちがこの時ばかりは分かった。
週に二回、文書館へ行く途中、あるいは文書館からの帰りに私はこちらのバールに立ち寄るようになっていた。
オーダーしていたのは、決まってカプチーノ。
文書館へ行く前に立ち寄る時には午後4時前、ついでにビスコッティやパスティチーノを頼んだりした。
帰宅時に立ち寄る時には午後6時半くらい、この時はあまりお腹にたまらないチョコレートを一粒一緒に頼んだりした。
カプチーノを頼みやすい理由は、主に次の二つである:
1. 安い。
2. 飲みやすい。
イタリアのバールでのカプチーノの相場としては、カウンター価格でエスプレッソが1ユーロのバールならば、大体1.5ユーロくらい。
カプチーノよりちょっと容量が多く、ミルクの割合も多いラテマキアートならば2ユーロくらいするので、だいぶリーズナブルなメニューである。
そして日本でそこまでエスプレッソを飲んでこなかった身としては、エスプレッソそのものよりも、それにフォームミルクをたっぷり注いだカプチーノの方がありがたい。
苦いエスプレッソをそのままで、あるいは砂糖をばっと入れて飲むのが主流かもしれないが、やはりふわふわ、口当たりの優しいミルクの泡が欲しい。
そんな感じで、私は週に2回、夕刻にカプチーノを頼むようになっていた。
お店の人も私を見ると「カプーチョ?(カプチーノのこと)」とオーダー時に聞いてくれるようになっていた。
お腹に温かいものを入れると、不思議と沈んでいた気持ちが少し元気になったのだが、イタリア生活が長い人は、ここまで読んで「あれ?」と思ったかもしれない。
なぜならば午後にカプチーノは飲まないというのがイタリアの不文律であるからである。
カプチーノは、朝、ビスコッティやブリオッシュとともに頼むのが定番である。
時には、これらのものをじゃぶじゃぶカプチーノに浸して食べたりする。
私自身、この暗黙のルールを知ったのは、滞在1年目が終わった頃であり、来たばかりのこの時は何も知らなかった。
このルールを知った時、私はお店の人のとんでもない懐の深さに気づいた。
例えば、通っていたバールが、例外は認めない、悪い意味でこってこてのイタリア流のお店だったならば、午後にカプチーノを頼もうものなら「そんなものはないよ」と言われていたかもしれない(少なくとも私がミラノで訪れたカフェでそんなところはなかったが)。
それどころかお馴染みのバールのバリスタは、カプチーノを頼むとハートや葉っぱなど様々なラテアートに挑戦し、ちょっと失敗しても「ま、こんなもんだ」といって出してくれた。
日本の洒落たカフェだと、芸術作品のようなラテアートが楽しめるところもわりと多いと思うのだが、ミラノでは、ラテアートはお店が忙しくない時にバリスタがノリでやってくれるというところが多い気がする。
そのうちバリスタや店員さんと、一言、二言と話すようになり、「あっ、自分のイタリア語がちゃんと通じているのだ」と嬉しくなった。
後日談だが、その後私は普通に砂糖なしでエスプレッソを飲むようになった。
エスプレッソを飲むようになったからといって、また私がC2レベルのイタリア語を話すようになったからといって、絶対イタリア人にはなれない。
いくらイタリアに慣れたからといって、滞在一年目の午後のカプチーノのことは忘れないでおこうと思う。
他者に寛容に、ということは、分かっていてもとても難しい。
なかなか自分に余裕がある時しかできないのだが、恐る恐る、新しいことをやろうとしている人がいたら、ミラノのバールの人たちのように、優しい気持ちでありたいものである。
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