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トロントでの生活 広がった視野【インタビュー③】
ここでは、先日公開したショート版では書ききれなかった金子直矢の「パーソナル」な部分をさらに掘り下げたいと思います。 金子と、記事を担当する清水は、互いに東京都江東区・深川が地元でバスケットボールを通じ切磋琢磨した30年来の付き合い。ここからはより“カネ”の生身の部分が見えるよう、私たちの関係そのままの言葉でやり取りを記したいと思います。地元民の間では「お不動さま」と呼ばれている深川不動尊の仲見世にて、話を聞きました。(聞き手・清水泰斗)
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金子 直矢(かねこ・なおや)。スタジオ ノヴァークス代表取締役社長 1987年生まれ。詳しいプロフィールはこちら。
インタビューシリーズ
①ノヴァークスで成し遂げたいこととは
②手探りの日々、見えてきた理想を追う
④一流を経験 トレーナーとしても成長
⑤悩んで耐えたその先 継いだ「新星」
⑥つなぐ点と線 「えん」持ち星は飛ぶ
ショート版はこちら
ラフでタフな、愛おしく懐かしい武者修行時代
セブに行く前からカナダのトロントへ行くのは決めていた。「欧米に指圧を広げたい」て考えのトロントに住んでいる指圧の先生の元へ、会社の先輩が技術を学びにカナダに留学しててさ。そっちの人の所に弟子入りするって言ってたから「ぼくも行かせてくださいよ」て言ってて。
それで先輩と「ほんとに来る?」て話になって。トレーナーのセミナーだけじゃなくて文化や生活習慣を学びたいって思った。ワーホリビザで行って、その先輩についていって指圧の勉強もしたりしよう、と。
――トロントはカナダ最大の都市で、多様な文化があるし、アメリカにも近い。“The 6ix”なんて愛称もあるのか。形式としてはワーホリで行ったんだね。
働く場所はどこでもよかったんだけど、お金のことも踏まえると単純に食事が付いている方がいいじゃん?
お世話になった「竹寿司」はトロントの金融街にあって、ランチで3千円とかするちょっとお高めのとこだからチップも良いし笑。向こうに渡って2、3日目にはバイトの面接に行って決まって、みたいな。まるまる1年間、キッチンで働きながら空いた時間で勉強をした。
呼んでくれた先輩が、先輩の先生とルームシェアしていてさ、「金子も来れば?」て言ってくれて一緒に住んだ。同じ生活環境だから、夜通しトレーナー談義をしたり、近所にあった大規模なジムに朝一番で一緒に行ってトレーニングをしたり、メソッドについて意見交換したり。セミナーに参加して得た知識もたくさんあった。
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可愛がってくれて、下っ端にはできない仕事も任せてくれた
――当然だけど全てが英語の中で、生の情報を得ながら“たたき合い”をした。そりゃ刺激的だし、すごい経験値を得ただろうね。
うん。竹寿司では週5でフルで働いていた。早朝にジム行って、8、9時にはランチの準備をしに行って、週末とかに指圧の勉強させてもらったりセミナーに行ったり。25、26歳のころだね。今思うと大分体力あったな、て思う。
見聞を広げるためにトロントだけじゃなくて色々な世界を見て回った。キューバとかメキシコとか。ワーホリの期間は1年だったから、その期間を満了して、真伍(注:金子、清水と同じ地元の仲間)の結婚式が東京であるからってことで、ちょっと予定を切り上げて帰国した。
――今振り返ると、この留学で何を得た?英語スキルは当然上がったと思うけど。
この期間と、その前のセブ期間とさらにトロントから帰国前の海外周遊で1年2、3ヶ月くらいか。欧米のセミナーの第一線の情報に触れるって目的も果たせつつ、自分は日本のことを知らないな、ということを知ったね。
トロント滞在の終盤1カ月くらいは英語学校にも通ってさ。そこには韓国やヨーロッパから学生が来てたから、「自分の国のことを説明しましょう」てなるじゃない?。それが全然できなくて。宗教とか深い話もする中で、自分で「何で喋れないの?」てなった。
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――カネが今、日本の伝統文化とか歴史に関心を高く持ち続けているのは、この経験が間違いなく影響してるね。日本を離れることで、それまでにない縮尺で自分の国を見れるようになる。あと俺自身がそうなんだけど、「英語を使うこと」への心理的ハードルが下がるってのはでかいよね。
実家を離れて生活したこともなかったし、すしレストランのキッチンで働けたから当然自炊もできるようになったし、一人で生きていく能力がついたのかな。トレーナー的な視点で日本と世界の違い、例えばジムの規模の大きさや料金形態、フィットネスカルチャーの根付き方に触れられたのも大きかった。
異国で知る世界のスタンダード、日本への無知
――違いってのは他に例えばどういう点?
例えば、スタートラインの違い。統計が出ているけど、欧米では人口の20~25%くらいの人がジムに通っている。つまりライフスタイルに組み込まれているんだよね。日本ではまだまだ「ジムに入会する」て時点にハードルがある。体を鍛えることへの意識が高い人とか痩せたい人とか、「短期的な目的がある人が行く場所」のような壁の意識がある、とかね。*1
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住まいだけでなく、食事など多くの面で海外での生活を大きく支えてくれた恩人だ
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ナイアガラには先生のお宅があり、招いてもらい周辺も案内してもらった。
メイプルリーフ(カエデ)の紅葉が有名な街道やワインセラー巡り(飲めないけど)など思い出いっぱい
渡加した年は数十年ぶりの大寒波があり、マイナス10~20℃の気温の日は家で凍え死にかけたが、通っているジムは暖かかったのでトレーニングをしながら凌いだ
――そうした収穫を胸に、数か国回ってから帰国した、と。
その帰路でドバイに寄ったんだよね。1年間働きっぱなしだったし、せっかくだから高めのホテルに泊まっちゃおうかなーって思って、5つ星ではないけどラグジュアリーホテルに泊まってみた。そこのホテルにジムが併設していたんだよね。
それまで自分の中では、トレーナー業界=ジムやスポーツ施設だった。だから「え、こういうトレーナーの形もあるのか!?」って驚いて。帰国後に探してみたら、ザ・リッツ・カールトン東京から求人が出ていて面接のアポイントが取れて。リッツのリの字も知らなかったんだけど。
「トレーナー募集しているんだけど」「あ、ぼくトレーナーです」「英語喋れる人が良いんですけど」「あ、英語も大丈夫ですよ」「あ、じゃあもう採用で」みたいにとんとん拍子で話が進んでいった。
――たまたま泊まった異国のホテルでホテルフィットネスを初めて知ったと。その後のキャリアにも大きく関わってくるじゃん。帰国してその枠があったことも、どっちもすごい偶然。
そうそう。ホテルで働くルートって概念が自分の中になかったもの。それは衝撃的だった覚えがあるね。
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トロントは多国籍文化が存在する街らしく、様々な文化の料理があった。
住居はグリーク通りにあったため、ギリシャ料理もしょっちゅう食べに行っていた。
④に続く
【参考文献】*1 IHRSA 2018 Global Report
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ここのフィットネス施設を見たことが、帰国後ホテルフィットネスで働くことのきっかけとなった
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メキシコではフィットネスカルチャーの盛り上がりは当時は見られなかったが、プロレス(ルチャリブレ)やスポーツを通して、身体を動かすカルチャーは感じられた
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WRITER
Taito SHIMIZU / 清水 泰斗
1987年、東京の下町・深川生まれ/育ち。新聞社で4年半、地方記者を経験。日本中の工芸やニッチな特産品の取材、アイヌ文化、サウナや銭湯、エスニックタウン、アンダーグラウンドカルチャー、マタギ文化、プラナカン文化などにも食指。日本語教師としても活動。
メディアもファストな時代ですが、丁寧に、あらゆる分野に飛び込んで文章を書いていきたいです。
I was born and grew up in downtown Tokyo and now live here.
I'm writer who wanna write substantial article. Also working as a Japanese private lesson teacher.
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