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悩んで耐えたその先 継いだ「新星」【インタビュー⑤】

ここでは、先日公開したショート版では書ききれなかった金子直矢の「パーソナル」な部分をさらに掘り下げたいと思います。 金子と、記事を担当する清水は、互いに東京都江東区・深川が地元でバスケットボールを通じ切磋琢磨した30年来の付き合い。ここからはより“カネ”の生身の部分が見えるよう、私たちの関係そのままの言葉でやり取りを記したいと思います。地元民の間では「お不動さま」と呼ばれている深川不動尊の仲見世にて、話を聞きました。(聞き手・清水泰斗)

右が代表の金子直矢、左が聞き手の清水泰斗

金子 直矢(かねこ・なおや)。スタジオ ノヴァークス代表取締役社長 1987年生まれ。詳しいプロフィールはこちら

インタビューシリーズ
①ノヴァークスで成し遂げたいこととは
②手探りの日々、見えてきた理想を追う
③トロントでの生活、広がった視野
④一流を経験 トレーナーとしても成長
⑥ つなぐ点と線 「えん」持ち星は飛ぶ
ショート版はこちら


コロナ禍での休業、不安、再開 支えはチーム


――まだ終息していないけれど、コロナ禍が直撃したのは2020年~23年って感じだよね。この期間はどうしていた?

 どこの業界もそうだったと思うけど、リッツも一時休業した。自宅待機期間もあって、自分もチームも「今後どうなるんだろう」という不安は、やっぱりあったよ。

 営業再開が決まった際には、感染症対策を前提としたオペレーションの組み立てが必要になった。それを構築するのも大変だったんだけど、それ以上に苦労したのは人繰り。
 当時、経験がある学生アルバイトやインターンはすでにもういなくなっちゃっている状態で。これまで以上に限られた人員で、これまで同様のサービスと、さらにコロナ対策が求められていたんだよね。加えて、再開するとなると当然、お客さまは期待を膨らませていただろうし。

 だから自粛中はチームでオンラインミーティングを何度も重ねて、想定できる流れや必要な備品などを列挙しあって。現場に出られるようになってからもフィットネスジム、プール、ロッカーなどのそれぞれの距離を計測したり、利用時間制限の設定をしたりしていた。

コロナ禍に突入した後のジム。ゲストが安心して利用できるよう、チームでミーティングを重ね、ソーシャルディスタンスの徹底や人数制限をかけるなどのルールを設定した

 お客さまが安心、安全に利用できて「ここなら気持ちよく運動ができる」と思える場所を提供しよう、とみんなで決めてリスタートした。東京五輪を控えていたから、新入社のスタッフも結構いて、彼らのトレーニングもしながら、各々が自立して動ける環境を目指していた、て感じだね。営業再開してお客さまから「また来れてよかった」と言われた時は、本当に嬉しかった記憶がある。


――「人と接触ができない」というのは、文字通り接客業には、すさまじい影響があっただろうね。

 マスクをして顔が隠れた状況でのコミュニケーションって、想像以上に難しかった。お客さまから叱咤激励をもらうことも多々あったね。リーダーとして動いていたから責任を感じたし、どうやったら満足いただけるか毎日悩んで、正直辛くて、眠れない日もあった。
けど、気持ちが折れなかったのは、フィットネスチームのメンバーがいたから。みんな同世代や若手だったけど、主体的に動いて問題解決に努めてくれる、お客さまの求めることを先読みしてくれる良いチームだった。


――苦しみつつもリズムを取り戻してきた。そこから次の段階、つまり今の環境にはどう変化していった?


確かめる足元 原点回帰でフリー、会社設立へ

 営業再開からほどなくして、ホテルで副業が解禁されたのよ。コロナ前からずっと個人で勉強会やセミナーには参加していたのもあって、そこで出会った先輩とか、海外渡航やリッツ以前の同僚とかから「一緒に働かないか?」と声をかけてもらったんだよね。


六本木にある、理学療法士と連携しているトレーニングジム。パーソナルジム規模ではなかなかない、KINESIS(ケーブルマシン)も備えている


指導風景。トレーナーの指導技術がなく危険とされるジムも多いが、姿勢矯正、肩甲骨の安定化などのため、女性にもベンチプレスに挑戦してもらうことは多々ある

 当然ホテルでの業務は120%でやりながら、休日を利用して外部でのトレーナー活動も始めた。今、理学療法士と連携して会員制トレーニングジムを運営しているんだけど、ここがそのスタートになるね。カナダに行く前に担当していたお客さまとかにも声をかけて、少しずつトレーニングに来てくれる方が増えていった。


 自分のキャリアややりたいことと向き合えた時期だった。それが1年くらい続いて、ホテルを退職してフリーランスで活動して、ノヴァークス立ち上げに至る、て感じかな。


――リッツで働きながら個人でもトレーナーをやっていた時期が始まったのは、それまでの人との縁あってこそだな。非常に今更なんだけど、肩書きは何になる?スポーツトレーナーとかパーソナルとか名称が乱立していて、口にするとき引っかかっていた笑

 俺の場合はスポーツトレーナーでいい。パーソナルは個対個でみるってジャンルなので。今、パーソナルって言うと業界的にはボディメイクとかダイエット専門とかのイメージらしい。その辺の名乗り方、ブランディングは自分の中で課題でもある。


――へえ、業界を知らない側からしても奥深いわ

 間違いない。だから勉強する方も栄養学、心理学、コーチングやトレーニング法はもちろん、解剖学とか運動生理学とか多岐にわたる分野にアンテナを張る必要がある。場合によっては床反力でどれくらい力が入っているのかとか、運動力学的な目線も必要だし、ウェアでパフォーマンスが変わるとか、学ぶことは多いし、広い。


――なるほどね。話を戻すけど、ホテルでは能動的に働いてはいたが一生の仕事ではないって感覚はあった、てこと?

 うん。「いずれ」という気持ちはもっと前からあった。このままいても、マネジャーって選択肢しかなかったから。


――それは違うな、て自分の中でなったってことか。

 ホテルが前例のない役職をその都度、俺のために作ってくれてさ。最終的にはヘッドトレーナーというのになれた。でもその上ってもうスパマネジャーだから、現場じゃなくなるんだよね。自分はやっぱりホテルのマネジャーになりたい訳じゃないし、ホテル業界で上を目指してトレーナーとしてお客さまが見れなくなるなら、自分で組織を作るしかないな、って。


 退職してからは、個人で売り上げが立つかもわからないから、まずは1年活動してみよう、てのが22年。フリーランスで動いて、色々な場所、機会に顔を出した。

 で1年、実際にそれができた。なので当初から想定していた法人化に向けて動いた。次のステップとしたら法人化しかないし、23年は年男だったしね。ここでやらないでいたら来年、再来年もやらなそうだなって思ったから、ここだ、と。

12歳のころ、父親、2人の弟と。このころは神輿を担ぐのが嫌だった記憶がある。大人になってから、よそにはない地元の大切な行事という認識になった。地元深川の祭りは江戸三大祭りで「水かけ祭り」としても知られている。


 あとは、父親が若いころ、祖父から引き継いで新星運輸て会社をやっていてさ。今の自分の年齢くらいの時に廃業したって言うのを聞いていたから「俺がつなげたいな」とも思った。で、23年7月25日にNovarxを立ち上げた、という流れだね。

――社名のnova部分の由来だな。コロナ明け、年男、お父さんがやめた年と同じ年齢で屋号を継ぐ。“星”だからじゃないけど、惑星直列的に機会が重なったと感じた、と。


⑥に続く

WRITER
Taito SHIMIZU / 清水 泰斗

1987年、東京の下町・深川生まれ/育ち。新聞社で4年半、地方記者を経験。日本中の工芸やニッチな特産品の取材、アイヌ文化、サウナや銭湯、エスニックタウン、アンダーグラウンドカルチャー、マタギ文化、プラナカン文化などにも食指。日本語教師としても活動。

 メディアもファストな時代ですが、丁寧に、あらゆる分野に飛び込んで文章を書いていきたいです。

I was born and grew up in downtown Tokyo and now live here.I'm writer who wanna write substantial article. Also working as a Japanese private lesson teacher.


ロングインタビューシリーズはこちら

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HP:https://studio-novarx.com/

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