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【ネタバレあり】スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム感想

2022年1月7日、スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームが日本で封切られた。前作ファー・フロム・ホームから約2年半、この日を待ち続けたファンも多いのではないだろうか。
私もそのうちの一人だ。映画館にスパイディが帰ってくるのを心待ちにしていた。

念願叶ってようやく観に行けたスパイダーマン最新作は素晴らしい出来栄えだった。この映画を世に送り出すために尽力してくださった関係者各所に感謝を申し上げたい。
素晴らしい映画をありがとう、そしてスパイダーマンを愛してくれてありがとう…。

以下、ネタバレを含む感想が続きます。





・劇場の一体感

映画館というのは基本的には黙って静かに画面を眺める場所だ。
しかしそれはあくまで基本的に、である。観客たちは映画の展開次第では笑ったりしたり、涙を流したり、息を吞んだりもする。ただし、映画の妨げにならないようにあくまで静かに。そんな映画館独特の一体感が私は好きだ。
NWHは劇場内の一体感を感じられる映画だった。
メイおばさんの理不尽な死は劇場中すすり泣く声が聞こえたし、アメイジングスパイダーマンのピーターがマスクを取った瞬間は息を呑む音がしたし、トビ―マグワイアが出てきた時なんか小さく悲鳴を上げている人が居た。
大勢の人間からリアクションを引き出す映画、本当にすごい。
他人とで同じものを見て感動を共有できる映画館が改めて好きだなと思わせてくれる作品だった。


・3人のスパイダーマン

冷静に考えれば、以前のスパイダーマン映画作品から登場するのがヴィランだけなわけがなかった。そんなことちょっと想像すれば分かることだし、心のどこかで歴代スパイダーマン3人が揃うのを期待していたかもしれない。
それでもトビー・マグワイア、アンドリュー・ガーフィールド、トム・ホランドの3人が揃った時の感動は凄かった。
アンドリュー・ガーフィールドがマスクを取った瞬間息を呑んだうちの1人が私だ。トビー・マグワイアが出てきた時の悲鳴はなんとか押し殺したが、つい小さな悲鳴を上げてしまった人の気持ちもよく分かる。

ライミ版スパイディ、アメスパスパイディが抱えていた無念を少しでも晴らせたらと感じられるシーンがたくさんあってその度に涙が止まらなかった。
MJを抱きかかえて着地成功するアメスパスパイディの表情が忘れられない。アンドリュー・ガーフィールド本当に芝居が上手い…。
3人のスパイディたちの掛け合いもとても良かった。

「チーム戦に慣れていないんだ!」
スパイディズ

おもわずこのセリフにはくすっとした。
確かにライミ版、アメスパでは"スパイダーマンとは一人で戦うヒーロー"というイメージだった気がする。ようやくできた一緒に戦うことのできるチームメイトが同じスパイダーマンだった、なんて胸が熱すぎる展開だ。
そして朝日に照らされてお互いを抱きしめるスパイディズの美しいこと…やっぱりここでも私は泣いた。

観客がそうだったら良いのにな、と空想していたものをそれ以上の形で見せてくれたのが本当にすごい。関係者各位の皆さま、本当にありがとうございました。



・大人にならざるを得なかった子供

映画の序盤ではピーターは殊更年相応に描かれている。
例えばこのシーンだ。
スパイダーマンの正体が世界中にバレてしまったことにより彼の人生は滅茶苦茶になる。それを何とかしてもらおうと彼はDr.ストレンジを尋ねる。
そこでのピーターのセリフがとても印象的だ。うろ覚えだがこんなかんじのやり取りだったと思う。

「大学には掛け合ったのか?」
「掛け合う?そんなことしていいの?」
「掛け合いもせずにここに来たのか!?」
「だってそんなことできるなんて知らなかったから」
Dr.ストレンジとピーターのやり取り

既視感のあるやり取りに驚いた。
私も10代の頃同じことを言われたことがある…!
ピーターの場合状況が状況なので大学に掛け合うというのも難しいかもしれないが、現実には一度断られたことでも交渉次第で融通を利かせてくれることは往々にしてある。
今の私がそれを知っているのはかつて周りの大人にそう教えてもらって、実際に交渉したという経験があるからなのだが…。ピーター・パーカー18歳はそんなこと知る由もなく、交渉が選択肢にも上がらない。
それにしても”だって知らなかったから”とは…。昔の自分も同じように言い返していたことを思い出して顔が赤くなる。
本当にティーンエイジャーの解像度が高すぎるシーンだ。

話が進むにつれピーターは多くの選択を迫られる。
死に行く運命にあるヴィランたちを元の世界にそのまま返すのか、世界を救うために全人類から自分の記憶を消すのか、MJに約束通り自分のことを思い出してもらうのか…。
そしてピーターは自分の選択に対する責任を取ることになる。
人生は選択の連続で、自分が選んだものに対して責任を取るのが大人だ。そういう意味ではピーターの子供時代は突然終わりを告げ、彼は一足飛びに大人になった。
子供は時として大人が思ってもいないほど早く成長を遂げる。それは喜ばしいことではある。しかし大人というのは子供にとって良い環境を整えてやりたいし、適切なサポートをしてやりたいし、各々のスピードで成長させてやりたいとも思う生き物なのだ。
駆け足で大人になることを強いられたピーターに一視聴者でしかない大人の私は涙した。


自らの選択の責任を取って全てを失ったピーター。
確かに自分がした選択の責任を取るのが大人だ。
でも大人だからって一人で戦う必要はないのだ。
独りぼっちでニューヨークの冬空の下ヒーローをする彼にも誰か頼る人が居たら良いのに…と願わずにはいられない。


・これからの映画スパイダーマン

”ノー・ウェイ・ホーム”というタイトルを聞いた時、不吉なタイトルだなと思った。MCUスパイディはメイおばさんという家族が居て、帰るべき家があるのにノー・ウェイ・ホームとこれいかに、と思っていたのだ。
作中でピーターは家族、友人、恋人を失い世界中全ての人から忘れ去られてしまう。もう彼は家族の待つ温かい家には帰ることはできない。
ピーターの周りには素晴らしい人々がたくさん居て、そこに彼の居場所があったことを3作品かけてしっかりと描かれている。そのため余計に辛く胸にくるエンディングだった。

寒くて暗い部屋で一人、それでも笑顔を忘れないピーター。数少ない荷物の一つはミシンで、スーツを手作りする。無線を傍受して事件の気配を察知すると勢いよくニューヨークの街へと飛び出して、日常を楽しむ人々の上をジップする…
めちゃくちゃ従来のスパイディ像に戻った感じがする。
それが嬉しくもあり、今までのトム・ホランド・スパイダーマンとは違うものになりつつあることに寂しさも覚える。

MUCお約束のポストクレジットではヴェノムが登場した。遂にヴェノムとスパイダーマンが出会うのか!?と思いきや、すぐさまエディとヴェノムは元の世界へと戻されてしまう。
とんでもない置き土産を残して…
置き土産ヴェノムはあの世界のエディを探すのだろうか。トム・ハーディとトム・ホランドの共演を見てみたかった気持ちはある。しかし、別バースでは同一人物でも別人である(故に別の役者が演じる)というルールがあるのかもと思った。
見たいですけどね、あの二人のエディ&スパイディとしての共演…!

感情が激しく揺さぶられて見た直後はどっと疲れた。そんな映画に出会えたことが本当に幸せだと思う。
また親愛なる隣人が銀幕に戻ってくる日を楽しみに待っている。早くその日が来ますように!


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