見出し画像

繰り返す選択⑨母と私

 数年前から母と相談していたことがあった。
同じ県内なので故郷と言っていいかわからないけれど、今住んでいる街から車で2時間弱のところに母と私が生まれ育った故郷がある。
祖父母と一緒に住んでいた一軒家は、私が就職した2年後に売却している。
古い一軒家のメンテナンスを母と私でするのは大変だったので、気楽な賃貸暮らしをふたりとも喜んだ。
私の結婚を機に今の街に移り住んだ訳だが、そこには祖父母のお墓を残したままだ。
3か月に一度くらいの間隔で、母と一緒にお墓参りをしていたけれど、母の調子が悪くなったここ2年くらいは私がひとりで行くようになった。
母はそのことが気掛かりだったようで、折に触れては墓じまいのことを言うようになった。
お寺で永代供養にするか、霊園にお墓を購入するか。
私はどちらでも良かったので、決定権は母に委ねていた。
そうこうしていた4月下旬、母に膵臓癌が見つかる。
もっと頻繁に祖父母のお墓参りをしたがっていた母のために、母の気掛かりを解消するために、夫とも相談して自宅から近い霊園にお墓を購入し、移設することにした。
散歩がてら車椅子で行ける距離になることを母はとても喜んだ。

 お墓を移設するには煩雑な手続きを済ませなければならない。
どこの霊園に何体の遺骨を移設するのかについての書類や、霊園管理者の移設承認印や移設先の霊園の受け入れ書など。
住んでいる県や自治体で手続きの内容は変わると思う。もっと簡素化された手続きの所もあるだろう。
亡くなった後も引越すのはなかなか大変だな、そう思った。
 この手続きは母に代わって私が行った。
元のお墓を取り崩す前にもう一度母を連れて行ってあげたかったので、ケアマネさんに頼んで車椅子をレンタルした。
調子が良さそうな時に、いつでもすぐに連れて行こう。

 母が退院後、訪問看護を週に1回利用することになったが担当看護師さんから「急変時の対応」について問われた。そう言った冊子も渡される。
挿管するのか、しないのか。
在宅での看取りがいいのか、施設や病院がいいのか。
心臓マッサージはどうするのか。

意識的に考えないようにしていた事柄を一気に並べられてうろたえる。
そうか。
もう、そう言う覚悟が必要なのか。
いつもとあまり変化のない母を見ていて、甘い勘違いしていた自分を強く戒める。

 どう言えば私の心の通りに伝わるだろうか。
母の癌闘病が始まって以降、あらゆる二択を迫られてきた。
どの決断も毎回身を切られるような痛みがあって、本当にこれで良かったのか悩まない時はなかった。
もっと遡ると物心ついた保育園の頃から何かを、どちらかを選択してきたように思う。
当時は神経難病だと診断されていなかった母だったが、明らかに周りの友達のお母さんとは様子が違う母に、運動会の借り物競争で一緒に走って欲しいと言えなかった。自転車の後ろに乗せて欲しいとも言えなかったし、お道具箱の持ち物に名前を書いて欲しいも言えなかった。
それは言わない選択をしただけの大した話ではないけれど、母と私の生きてきた過程には、常に何かを諦めて、そう言うものだと受け入れなければならない場面が山のようにあった。
文字通りその山をふたりでどうにか乗り越えてきたのだ。

そして今も次々と選択を求められる。
だったら私の問いにも答えて欲しい。
どうして母は膵臓癌になったのか。
どうやってももう母は助からないのか。
だとしたら、母はあとどれくらい生きていられるのか。
なんで私から母を取り上げるのか。

誰にも解らないし答えようのないことを、聞き分け悪く繰り返してしまう。
誰も悪くない。
誰かに文句言いたいわけでもない。
私は母を看取ることが、母が居なくなることが怖かったんだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?