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おかえり⑮母と私

母が逝った。
あっという間に、何もかも置き去りのまま、逝ってしまった。

死亡確認が終わる。
葬儀社の段取りは夫がしてくれた。
お迎えが23時頃になるそうだ。いま21時半。
さっきまで大泣きしていた義母の姿は、視界の範囲には見当たらない。

私は、黙々と母の荷物をまとめていた。
一言も口にしなかったと思う。
病室に散らかる母の荷物は、母が生きようとしていた証のようで、全て持って帰らなくてはならない気がしていた。
要らないものや、処分したいものはそのままでいいと看護師さんに言われたけれど、何一つ、置いてなど行かない。

母のパジャマを手にすると、込み上げてくる何かに押しつぶされそうになったけれど、その感情ごと、紙袋にぎゅうぎゅうに詰めた。
いつも入院するときに使っていたミッフィーの箸箱。
食べかけのお菓子。水筒。メガネ。スニーカー。
このスニーカーは、膵臓癌とわかった最初の入院時に買ったものだ。
気に入って最期まで履いてくれた。
概ね、まとめ終わって母のそばに行く。
先ほどまでなかった内出血があちこちにできていた。

きつかったね。こんなにきつかったのに、よく頑張ったね。
もう苦しくないやろ?

ふと、母の口元を見るとチョコがついていた。今まで気付かなかった。
いつかの着替えの荷物に忍ばせておいたチョコだ。
食べてくれたんだね。生きようとしてくれたんだね。
母の口元をきれいに拭った。

仲のいい病棟師長が目を真っ赤にして病室に戻ってきた。そして、
「着替えようね。きれいにして帰ろうね」と、泣き笑いで母に言う。
「ごめんね、遅くまで居てもらって」
「そんなんいいわ。着替えるから猫のパジャマ出してよ」
「ごめん。猫は在庫切れや」
「えーーー!猫のパジャマないってよ!」と、また母に言う。
他にも2人、看護師さんが来てくれて賑やかに母の帰り支度が進む。
みんなそれぞれ、母に声をかけてくれる。
あぁ、そうか。
いつもこうやって、看護師さんと過ごしていたんだね。
さみしいばかりじゃなかったね。
そんなことを、少し離れたところに立って思っていた。

母の顔に化粧をする。
とても膵臓癌を患ったとは思えないほど、母はきれいだった。
確かに痩せたけれど、頬がこけるほど病的に痩せ細ることがなくて本当に良かった。
母が固形物を受け付けなくなったのは7日間ほどだ。
呼吸苦があったのは息を引き取るまでの4時間ほど。
よく知っている膵臓癌患者のそれより、母は苦しまなかった。
裏を返せば、それだけあっという間に逝った訳だが。
それでも、母のつらさが少なかったことは、私の心の拠り所だ。

葬儀社が母の迎えに来てくれた。真っ白な布が母を覆う。
担当医や看護師さんたちが最期の見送りに出てくれた。
「お世話になりました」
これまでの感謝に深々と頭を下げる。

夫の車を先頭に、母を乗せた霊柩車を挟んで、私が車を出した。
0時が近かったため、車もほとんど通っていない。

未だ、夢の中にいる感覚が続く。いっそ夢ならいい。
ひとりの車内。いつも母が乗っていた助手席に視線をやる。
何となく、母はここに居るように思えた。
生憎そういう能力は皆無で、どちらかと言えば鈍感な私に見えるものなどないのだが、母は私と一緒に帰っているような気がした。

自宅に着くと、母の部屋にいろいろ運び込まれる。
このために片付けた訳じゃないのに、ベッドを処分してガランとした部屋に祭壇などが収まっていく。
ようやく、母が自分の部屋に帰ってきた。

おかえり。
やっと帰ってこられたね。

目まぐるしく、様々な出来事が矢継ぎ早に起きた。
気持ちの整理など付くはずもない。あるのは無力感。

この日は朝までずっと、母のそばにいた。