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疑問が芽生えたその瞬間「私って”看護師”になりたいの?」-考えは"自分のもの"になった瞬間強大パワーとなる


脊髄反射で”応える”「看護師さん」への希望

昔から七夕の短冊や自己紹介シートの「将来の夢」の欄には「看護師さん」と書くようにしていた。そう、あれはまだ4.5歳のころから。

皆がケーキ屋さん、アイドル、社長、美容師さん…と書くなかで、なんとなく覚えた「手に職(テニショクと片言でよく周りに公言してた)」を目指している自分に、「私は大丈夫だ、しっかり考えている」と、どこか安心していて。なによりも、看護師さんになりたいと話すと、母をはじめとした家族は大喜びしてくれたし、その表情や声色や雰囲気に後押しされて、いつの間にか、「将来の夢=看護師」は、私の中で一答一問のようにワンセットになっていた。

「どうして看護師さんになりたいのですか」と聞かれると、これもまた自分の中で脊髄反射のようにして答えている定型文があった。「小児喘息が辛かったとき、大丈夫よと背中をさすってくれた看護師さんに助けられて、自分もこうなりたいと思ったから」と。勿論、うそではない。エピソードは事実だ。その看護師さんに助けられたのも事実。だけど、これは取って付けた理由であることが、今ならば分かる。自分に宛てた”自分用の答え”だ。そして、それは必ずしも自分の真意と重なるものではない、ということも今ならば分かる。

常に「正解」でありたい自分が万能感の恐ろしさを知った日

しかるべき”答え”を持ったまま、小・中・高と進む。困ったときには「私は看護師になるから」と確実そうなことを自分に言い聞かせた。ありがたくも周りには良い人ばかりで「なのちゃんは確かに看護師って感じ!似合ってる!」などと言ってくれたものだ。常に「正解」でありたかった自分。看護師という職業はいつ何時も、だれにとっての世界でも「正解」であった。人を救う仕事、癒す仕事、なくてはならない職業、そりゃあ誰も批判しない。誰も批判しないのだから、私にとってその選択肢は無条件に”お気に入り”だ。

そんな自分にも、いざ看護学部受験となると、「本当にこれで良いのか」と考えることを免れないタイミングがやってきた。高校2年生の秋。そのころの自分は、人の心というものが、自分の努力だけでは理解できないということ、どうにもならないことがある、ということを突き付けられていた。

「どうにかしたい」と思うのに、どれだけ一生懸命に対話しようとしたり、心を寄せても、むしろ逆効果だったりして、空振りの日々。私が愛してやまない大切な人たちが、自分のことをひどく蔑んだり、雑に扱ったり、傷つけたりしているのをみて、なんて自分は無力なんだろうかとグルグル考えた。でも、同時に気付いた。私の持っている、この根拠なき「万能感」こそが、彼や彼女らに本当の意味で寄り添うことを邪魔していたのだと。

他者の心など、どこまでいっても分からない。これは自分にとって、非常に大きな衝撃であった。どれだけ同じ時や空間や経験を共有しても、他者の心のほとんどは「分からない」のだ。そして、少しずつ理解していった分でさえ、またすぐに「変わって」いく。

全然分からないじゃない、私はなんにも知らなかったんじゃない、と思った。そうしたら、突然怖くなった。無責任に言葉をかけたり、励ましたり、「きっと大丈夫だよ」と言うことが。どれだけ、わたしが彼らを信じていたとしても、彼らにとって「大丈夫」かどうかなんてわからない。言葉の重みを自覚した。

人間はそんなに単純明快な存在ではなく、もっともっと複雑で入り組んでいて、多面的であるということ。だけれど、だからこそ人は「無限大」であるということ。

「理解したい」その気持ちが、あなたの存在の価値を際立たせるー宝探しのはじまり

この衝撃から私が見出したことは二つ。
人は誰しも、尊敬してやまない「学ぶべき存在」であるということ。どんな感覚であっても感情であっても、それはカテゴライズできるものではなく、その人だけの持つたった一つのものであるから。それは必然的に、私にとって全てが無知のものであるということ。だから、何を言われても、ぶつけられても、打ち明けられても、たとえ近しい感覚に覚えがあったとしても、自分にあるものと重ねて「分かったような気になる」のではなく、容易く共感を示すのでもなく、その人にしかない固有の”宝物”として見ていこうと感じた。

「理解しきれない存在」として、自分から見えている他者の姿は、その全体のほんの一部にしか過ぎないことを知ったとき、他者の存在がより尊く、自分の引き出し方次第で様々な姿形がみえてくる無限の存在であると確信した。そこからはもう無意識に、人の良いところ、素敵なところ、輝くところを見つけては喜んで、フィードバックしてみる。そんな宝探しが始まった。

そして。ほんの一端でしかない他者の心を垣間見させてもらった時、そのヒントを手繰り寄せるようにして、少しでもその人が元気になるように、自分らしく、居れるようになるための、「気持ち」だけではどうにもならない、心を癒し、溶かし、「安心して」前を向けるようにする知恵を学びたいと思った。なによりも「私はここにいてはならない存在なんだ」と思ってしまう、感じてしまう人が、「ここは私が居て良い場所だ」と思い安心して、息が吸えるようになるためにはどうしたらよいのか、”それを知るために”看護を学ぼう。そこで、つながった。

看護を学ぶということを、「自分のもの」にした瞬間だった。

愛する人たちをもっと輝かせるための「手段」としてのナーシング

看護科入学。日々の学びはためになるが、どこかしっくりこない。
これが私の学びたかったものなのか?あれ、私は”看護師”になりたかったんだっけ?
ー違う。看護を学びたかったんだ。大好きな人たちを安心して進んでもらう知恵を授かるためにここに来た。私は看護を使って大切な人たちを笑顔にしたい。大事なのはこっちだ。

他者のことは理解しきれない、だけど自分のことは自分が一番よくわかっていると信じて疑わなかった。だけれど、私の知らないあの子がいるように、私の知らない私もいる。私は他者のこと以上に自分のことをなんにも知らなかった。

違和感の正体を解明していくためには、自分のことをもっともっと知る必要があった。

でも一つだけ分かっていたのは、「大好きだから、大切だから、そんなあなたに元気でいてほしい」、この気持ちを起点に、その人の輝く姿を知っている者として、できる看護の形はないのだろうか、という気持ち。そんなものは理想論か、甘ったれの戯言か、勉強不足か。はたまた世間のニーズもないのだろうか。
そんな中でむくむくと大きくなる疑問・・・


ー疾病や障害の回復を支えることは、目の前の人の「幸福」を支えることと、果たしてイコールだろうか。

ー医療は人を病いから克服させるための方法に長けていても、もしかして、人を幸せにするための方法はまだよくわかっていないのではないか。

ー病いや障害に伴う苦しみから解放することを、その人たちのためになると信じて疑わないことは、何か大切なものを置き去りにしてはいないだろうか。

これらの疑問を原動力に、看護を離れた世界へ踏み出してみることを決意。違和感の正体を探る、私の長い長い航路が始まった。

続きは次回投稿にて。


お読みいただきありがとうございます。
このご縁に感謝です✿

ごゆるりと、気楽に、そしてなんだか元気が欲しいなという時に、皆さまにもここでほっと一息ついてもらえるような、安心できる場所を、この言葉の世界で紡いでいけたら良いなと思っております。

みなさまに「私はここに居ても良いのだ」と心から思える、そんな居場所や心の置き所、心あたたまる止まり木が見つかりますように。そんなメッセージが、いつかあなたにも届きますように。

なのはな


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